【証言①】ウクライナ軍即応部隊のスキフ司令官とスタースキー広報官 「滑走路の破壊は、賢明な判断でした」

 首都キーウ近郊の街ホストメリは激戦地の一つだ。この街のアントノフ国際空港には、侵攻初日にロシア軍の猛攻があり、降下部隊が続々と降り立った。

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 ロシア軍は初期に占拠した上で、空路での武器などの補給基地にしようとしていたとみられる。

首都制圧を狙ったロシア軍は2月、キーウ近郊にある空港に攻撃をしかけました。ウクライナ軍は空港を自ら破壊して抵抗。のちの戦況に有利な影響をもたらしました。ウクライナ軍司令官が当時を振り返ります。

 この空港からウクライナ大統領府までの距離は約30キロ。

 日本に置き換えれば、首相官邸から30キロほど離れた、横浜市千葉県松戸市埼玉県所沢市の辺りに、侵略軍の降下部隊が続々と展開する。そんな距離感だ。

 ロシア軍の猛攻があった日に、空港の防衛に就いていた軍人に話を聞くことができた。

【プレミアムA】「死の通り」 ブチャ 生存者の証言

ロシアによるウクライナ侵攻から半年。大量虐殺の悲劇に見舞われた街ブチャに「死の通り」と呼ばれる場所があります。生存者が語るロシア占領下の「絶望の1カ月」とは。金成隆一記者が住民の証言を丹念に集めました。臨場感のある写真や映像とともに伝えます。

 私が、この空港への立ち入り取材を許可されたのは5月5日。ロシア軍の撤退から1カ月ほどが過ぎた頃だ。

 内務省が手配したバスで現地に向かった。普段は入れない規制エリアを進む。

 数分後、滑走路が見渡せるエリアに達した。そこは戦場の跡地そのものだった。

 黒光りする物体は、頭部のない上半身の焼死体だった。最初は識別できなかったが、異臭でわかった。

 脇にはロシア軍の空の食料箱があった。

 地面には銃弾の薬莢(やっきょう)と砲弾が無数に散乱している。大破したロシア軍の装甲車両の残骸もある。ほとんどが焼損しており、原形をとどめていない。

 砲身や無限軌道、エンジンの部品、枠組みだけになった操縦室、フェンダーなどは、軍事知識に欠ける私でも何とか識別できた。残りは「鉄くず」「残骸」としか表現の方法が思いつかない。

 ロシア支持のシンボルである「V」が描かれている残骸もある。

 ウクライナ軍の報道官の説明によると、多くは、ロシア軍の降下部隊が今回の襲撃で多用した装甲車両「BMD」だ。空中投下できるように設計されているため、比較的軽く、その分、装甲の度合い(強度)は低いという。

 円形の物体は、ロシアの装甲兵員輸送車(ロシア語でBMP)の主要パーツという。

 ちなみに降下部隊とは、上空から落下傘降下して敵地を占領する目的で訓練された部隊だ。つまり、ロシア軍はこの空港を侵攻初日に占拠することを狙い、部隊を送り込んだ、と考えられる。

 この日は各国からの要人の空港視察も重なっていた。その要人らに2月24日のロシア軍の襲撃を説明していたのが、ウクライナ軍即応部隊のスキフ司令官だった。

 要人の視察が終わった後、個別の取材をお願いすると、スキフ司令官がスタースキー広報官と一緒に応じてくれた。

ロシア軍のウクライナ侵攻は2月24日早朝に始まりました。この空港への最初のミサイル攻撃は同日の午前6時ごろでした。

午前11時ごろには攻撃型ヘリ「Ka―52」や「Mi―24」などが東の空から飛来し、ミサイルを撃ち込んできました。ヘリは全部で少なくとも40機ほど。戦闘機も攻撃してきました。

 ■撃ち込まれたのは、非誘導…

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連載首都攻防 ウクライナ侵攻生存者の証言(全14回)

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