優しかった父、変えた戦争 没後45年、親類訪ね初めて知った父の姿

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比嘉展玖
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 77年前に終戦を迎え、戦地から戻った後も、もがき苦しむ人たちがいた。復員後、アルコールに依存していく父の姿が忘れられないという森倉三男さん(68)=埼玉県所沢市。父の生きてきた道をたどる中で、全く違う父に出会うことになった。

 「戦争の話をするぞ! 聞け!」。三男さんが幼い頃、父・可盛(かもり)さんは仕事から帰って、焼酎を飲んで酔っ払うと、決まって子どもたちを大声で呼びつけて自身の戦争体験を聞かせた。

 入隊から敗戦後の捕虜生活まで、毎回、1時間以上にわたって子どもたちに正座させ、同じ話をしたという。父は当時の自分を演じるかのように、見たこと、聞いたことを語った。

 可盛さんは1919年、現在の北海道斜里町で生まれた。両親は土地や定職がなく貧しい幼少期を過ごした。尋常高等小学校を卒業後は造林業に従事したが、43年に航空整備兵としてニューブリテン島のラバウル(現パプアニューギニア)に上陸し、その後南方戦線を転戦。仏領インドシナで敗戦を迎え、捕虜になった。

 南方戦線の話題になると常々、「話にならなかった」と言った。飛行機を整備して戦友を乗せる時には、戦友が死ぬことを分かっていたという。こちらは数機しか飛ばせないのに敵機はその何倍もやってくる。撃ち合うというより、こちらの飛行機が敵機に追われて撃ち落とされたり、自ら海に突っ込んだりして亡くなる光景を目の当たりにしたという。

 食料もない。戦友は減っていくばかりだった。

 ジャングルに逃げた戦友が高い木に全身バラバラになってぶら下がっていたこともあった。ある時、猛烈な爆撃に遭い、逃げても仕方ないと覚悟を決めた。ウイスキー片手に海岸で寝転んでいたら助かった話もあった。

 悲惨な戦争体験の一方、可盛さんの最終階級は軍曹で、貧しい農家から出兵し、軍隊生活に高く適応していった自身を、時に誇らしげに語ったという。

 戦後、可盛さんは北海道に戻り鉄工所を開業。農地開拓にも従事したが、生活は苦しく、戦地でかかったマラリアで全身が痛んだ。

 次第にアルコールへの依存を強めていった。働く意欲も失っていき、家では妻・朝江さんに強くあたり散らした。75年、可盛さんは火災で亡くなった。56歳だった。

 三男さんは晩年の父を、「人…

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