極限状態だった2年間 元シベリア抑留者が語る「後ろめたさ」の理由

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中川壮
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 第2次世界大戦終戦後、旧満州中国東北部)などにいた日本兵らが、ソ連軍によってシベリアなどに連行され労働を強制された。約58万人が連行され、過酷な環境のなか約6万人が命を落とした。愛媛県宇和島市堀端町の元会社員阿部喜教(よしのり)さん(96)も連行された一人だ。2年1カ月、飢えや寒さ、重労働に耐えた。

 阿部さんは愛媛県畑地村(現宇和島市)生まれ。8歳のとき朝鮮半島の釜山に移住し、平壌の陸軍予備士官学校に在学していた19歳で終戦を迎えた。その直後、満州から逃げてきた日本の民間人を平壌の近くで警護中に、ソ連軍の捕虜となった。

 1945年の秋ごろ、ウラジオストクの収容所に連行された。道中では幾日も歩かされた。「これはもう死ぬ思うた。落後したら銃殺ですけんね」

倍のノルマを課せられ

 札幌とほぼ同じ緯度にあるウ…

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