終戦の日 戦争体験者が命の大切さを訴える

藤生明
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 【茨城】終戦の日の15日、戦争体験を語り継ぐ催しが水戸市の「みと文化交流プラザ」であり、那珂市の元小学校校長、桧山正義さん(90)らが約60人を前に講演し、戦争のない平和な世界の大切さを訴えた。

 「8月15日は忘れられない日です」。桧山さんは、77年前の終戦の日の話から始めた。正午から重大な発表があると知り、隣家のラジオの前で耳をすませていた。それなのに聞こえてくるのは雑音ばかり。人々は「本土決戦が近い。頑張れということだろう」と言い合い、その場は解散した。

 夕方、家に来たおじから敗戦を知らされた。帰宅した父は裏山の竹やぶで一人泣き、桧山さんも、悔しくてその夜は眠れなかった。

 現在の那珂市にあった国民学校に通っていた1942年4月、校庭上空で見た大きな飛行機が本土空襲の始まりだった。敵機とは思いもしなかったが、それらは鹿島灘上空から侵入した米軍の爆撃機だった。

 やがて、日立や勝田の工場地帯は激しい艦砲射撃にさらされ、空襲も激しくなった。その間にも、海軍飛行予科練習生となった国民学校の先輩が、特攻隊として命を落としていた。

 桧山さんは戦後、茨城大に進み、小学校教師になった。命の大切さを若い世代に伝えるのは、学校で教えるのが一番だと考えた。

 校長になってからの5年間は、全児童に誕生日祝いのはがきを一枚一枚手書きでしたためた。必ず書いたのは「両親からもらった命を大事に――」。誰もが軍国少年だった時代への戒めを込めてのことだった。(藤生明)