戦後77年、宇佐の戦争遺構で平和願う
戦時中、宇佐海軍航空隊が置かれた大分県宇佐市の戦争遺構で14、15日、犠牲者を悼み、不戦の決意を共有する行事があった。終戦から77年を迎え、戦争体験者の生の声を聞ける機会が減るなかで、子どもたちに平和の願いを受け継ぐ取り組みが息づいている。
軍用機を格納した城井(じょうい)1号掩体壕(えんたいごう)がある公園では15日夜、「第18回平和のともしび」が開かれ、地域住民ら約60人が参加。ペットボトルや竹を使った灯籠(とうろう)が約600個並べられ、ろうそくの明かりが揺れた。参加者は戦没者に黙禱(もくとう)をささげ、恒久平和を願った。
「平和って いやなことはいやと意見が言えること」「差別をせずにみんなと仲良くする」。ペットボトルには、子どもたちが平和への思いを言葉や絵で表現した紙が張られた。四日市北小5年の長岡空夢吏(あゆり)さん(10)と3年の妹・友莉空(ゆりあ)さん(8)らが火をともし、献花した。
来賓あいさつをした是永修治市長は、戦争を題材にした映画の主題歌となった「ひこうき雲」「契り」の2曲をギターでソロ演奏しながら歌った。
宇佐海軍航空隊からは154人の若者が特攻隊員として飛び立ち、命を落とした。空襲で亡くなった民間人を含め、航空隊関連で667人の死者が確認されたことが、この日の式典で報告された。
主催した平和のともしび委員会を代表し、市民団体「豊(とよ)の国宇佐市塾」塾頭の平田崇英(そうえい)さん(73)はあいさつで、ウクライナの戦禍に触れた。「戦争が身近になっている気がしてならない。それだけに戦争の悲惨さ、平和の大切さを次代に伝えていきたい」
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江戸中期から造り酒屋として歴史を刻んだ津島屋本家「総督」酒蔵跡では14日夜、地域住民ら100人以上が集まり、供養盆踊りの輪ができた。市教育委員会が昨年度、航空隊関連の遺構として整備したのを踏まえ、戦争犠牲者とともに、この1年に亡くなった地域住民を供養した。
「総督」の銘柄で日本酒を醸造していた津島屋本家。酒蔵の地下にあった貯蔵庫は防空壕(ごう)としても使われ、1945年4月21日の米軍機による空襲では、当主一家4人と航空隊写真班5人の計9人が貯蔵庫内で生き延びた。戦火を耐え抜いた柿の木は今もたくさん実をつける。
近くにある柳ケ浦小の4年生~6年生の計12人は平和学習で体験談などを聞き、戦争の傷痕に触れ、盆踊りの場で発表した。「私たちのおじいちゃんやおばあちゃんが体験した恐怖を絶対に忘れてはいけないと思いました」。児童たちはそんな感想を口にした。
訪れた人たちはうちわを手に、柿の木の周りで踊った。地元の区長、片岡健(たけし)さん(75)は「終戦の日の前夜に、戦争遺構の前で子どもたちが語ることに意義がある。来年以降も続け、戦争のむごさ、平和の尊さを伝えたい」と話した。(貞松慎二郎)
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