子育ての責任は家族が負う…銃撃事件の背景に見える「閉じた」家族観

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聞き手・真田香菜子
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岡野八代・同志社大学教授に聞く

 安倍晋三元首相への銃撃事件を起こした山上徹也容疑者のツイッターには、家庭環境への不満や家族をめぐる葛藤、社会的支援を受けられない孤立感が記されていました。ケア労働と政治、家族の関係について論じる政治学者の岡野八代・同志社大学大学院教授は、事件の背景に、今の日本社会に広がる「子育ての責任は家族が負う」という家族観があると考えています。自民党の家族政策によって推し進められてきたといい、その問題点を指摘します。

 ――岡野教授は、事件の背景に「閉じられた家族」の問題があるとし、子育てや介護について、ケアをする人とされる人とが開かれた関係性でなくてはならないと主張しています。どういうことですか。

 まず最初に伝えたいことがあります。日本では社会を揺るがす事件が起きたとき、その社会的背景について言及すると、「事件や容疑者を擁護している」といった批判がでてきます。しかし、個人の罪を司法が裁くことと、その背景にある問題を論じることはまったく別です。事件を生んだ社会的背景を考えることは市民一人ひとりの重要な責任ですし、政治家には政治的責任について考える義務があると思います。

気に掛けてくれる他者が複数いれば

 質問に戻ると、ケア関係は密で閉ざされたものになりがちです。例えば、乳児を世話する母親は、乳児の生存を維持するために、子どもから目が離せません。時間も労力も必要です。でも、世話のために母親が働いていないのであれば、2人だけでは、収入もなく自活できません。さらに本来は、必要なときに母親に食事を提供する健康の管理などといった、ケアする人へのケアも必要でしょう。パートナーや子どもの祖父母といった家族がいても、ケアに協力しなかったり、ケア能力がなかったりすることもあり、保育や社会福祉の面から第三者が支えるべきです。家族だけで閉じてしまうと、ケア関係は継続できず、自壊してしまうこともありえます。

 今の日本社会では、子どもに必要な育児や家庭教育がなされていないケースがあっても、家族が、多くの場合は母親がその責任を負うべきだとされます。家族のことは家族任せとし、他の家族にはなるべく介入しない社会が築かれてきました。報道を見ていると、山上容疑者の母親は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の活動にのめり込み、ある時からは子どもたちの世話もできなくなっていたようです。それなのに、家族は固く閉ざされ、外からの支援が受けられなかった。家族は、子どもや高齢者といった社会で最も弱い人を抱える集団であることも多い。その家族に対して、すべて自分たちで責任をとれというのは、政治のありかたとしていびつです。また、容疑者は母親への思いが強かったようですが、自分を気に掛け、認めてくれる他者が複数いれば、家族とは離れた形で自分の生活を大切にできたのではないかと想像します。

涙が止まらなかった訳

 ――事件があった日、ご自身のツイッターに「涙が止まらない」と投稿していました。どのような気持ちだったのですか。

 私は改憲や歴史認識などをめ…

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