父の骨と野球界からの愛情に生かされた審判 甲子園で最後のジャッジ

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安藤嘉浩
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 三宅章介さん(55)がアマチュア野球の審判になったのは1992年。

 「最初は父を喜ばせたいという気持ちだった。背中が寂しそうだったので」

 父の享次(きょうじ)さん(2006年に70歳で死去)は春夏の甲子園大会で28年間にわたって審判委員を務めた。延長18回引き分け再試合となった第51回全国高校野球選手権大会(69年)の決勝、松山商(愛媛・北四国)―三沢(青森・北奥羽)で二塁塁審をするなど、数々の名勝負に立ち会い、91年夏を最後に勇退していた。

 章介さんにとって夏休み春休み阪神甲子園球場が遊び場だった。父の車で向かい、一塁ベンチ上で試合を見た。自身も野球を始め、智弁学園高(奈良)、近大で野球部に所属した。父が55歳で一線を退いたのは、自分が大阪府内で就職した年だった。

 「審判になる」と父に告げると、「軽い気持ちでやるなよ」と言いながら、どこかうれしそうだった。父の用具を身につけ、近大が所属する関西学生野球連盟の審判員になった。

 96年夏からは甲子園大会に参加し、98年の第80回記念大会では、延長17回の熱戦となった横浜(東神奈川)―PL学園(南大阪)の三塁塁審を務めた。

 「審判は黒衣や」「偉そうに…

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