「戦国千葉」どのチームにも甲子園のチャンス 市船橋の躍動振り返る

上保晃平
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 夏の甲子園に15年ぶりに出場した市船橋は2回戦で敗れたが、「市船らしさ」を存分に見せた。千葉大会からの足跡を振り返る。(上保晃平)

 3年ぶりに観客の入場制限がなくなった夏の甲子園。市船橋の1回戦には1万人、2回戦には2万5千人が応援に駆けつけた。その大舞台でいかに普段通りのプレーができるか。記者として観戦し、その難しさを感じる2試合だった。

 興南(沖縄)との1回戦では、序盤に守備がばたつき、三回には5失点。内野の守備を束ねる三浦元希遊撃手(3年)は「みんな地に足がついていなかった」と振り返る。

 チームを落ち着かせたのは海上雄大監督の一言だ。五回終了後、「守備からリズムをつくって攻撃につなげよう」と語ると、六回から4連続で三者凡退と守備が安定。主導権を奪い返し、最後は押し出し死球でサヨナラ勝ちした。

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 実はこの試合同様に序盤に大差をつけられ、2―12の大敗を喫した経験がチームにあった。春の関東大会、山村学園(埼玉)との初戦だ。片野優羽捕手(3年)は「初めてのスタンド応援ありの試合で、雰囲気にのまれてしまった」。

 「監督から『ノリと勢いは千葉で一番』と言われていたが、劣勢の時に我慢できないのが弱点だった」(片野捕手)という。その弱点は、千葉大会7試合のうち2点差ゲーム2回、1点差ゲーム1回という接戦を制するなかで克服。失点を抑えていればいつか好機が来ると選手が信じる「勝ちパターン」が生まれた。市船橋は夏に大きく成長したチームでもあった。

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 敦賀気比(福井)との2回戦。坂本崇斗投手(3年)からエース森本哲星投手につなぐ千葉大会の「勝利の方程式」で臨んだが、「うちの投手陣を相手がよく研究されていた」(海上監督)。長短打を浴び、守りでなかなかリズムをつかめなかった。

 それでも九回裏の攻撃では、連続二塁打などで2点差まで詰め寄る粘りも見せた。敗戦後、選手たちの多くには充実した笑顔が浮かんだ。

 強豪、古豪、新鋭のチームがひしめく県内は「戦国千葉」とも評され、甲子園常連校は不在だ。甲子園で2度の接戦を演じた市船橋に対して、千葉大会で互角の戦いをしたチームも多かった。

 県内の多くのチームに甲子園で勝つ力があると感じた夏でもあった。これからも球児たちが「楽しかった」と後悔なく終える夏であってほしい、と思う。

代打の切り札 甲子園で持ってた

 「ノリと勢いは千葉で一番」(海上雄大監督)というチームの象徴が、副主将の黒川裕梧選手(3年)だった。

 背番号3。ただ、今夏は1年生の大野七樹選手に先発を譲っていた。「大野の方が技術は上」と悔しさをこらえ、ベンチで盛り上げ役に徹した。

 代打の切り札として「絶対何かやってくれる」(4番打者の片野優羽捕手)という存在でもあった。

 最大の見せ場は甲子園1回戦だ。九回裏1死満塁、一打サヨナラの絶好機で打席を託された。

 177センチ、93キロ、胸囲はメンバー18人中一番の113センチという体格ながら、バットを誰よりも短く持った。外角低めのスライダーを2球続けて大きく空振り。打てる気配が遠のいたかと思われた3球目、抜けた変化球が体に当たった。サヨナラ押し出し死球となり、右拳を突き出した。

 2回戦でも、九回裏1死二塁で代打に入り、フライを右翼手がエラーして好機を広げた。追撃は及ばず、試合には敗れた。「このメンバーでもう野球ができないのが寂しい」。整列の際、誰よりも泣いていたのは黒川選手だった。

ここぞの市船soul「魔曲」で流れ変えた

 1、2回戦と終盤に猛打を見せた市船橋。その支えとなったのが、応援曲「市船soul(ソウル)」だった。

 20歳の若さで亡くなった元吹奏楽部の浅野大義さんが作った曲としても注目された。

 市船橋野球部では「魔曲」と言われ、この曲が流れると、確かに球場の雰囲気が一変した。実は、試合後に曲がかかった時の打者に聞くと「集中しすぎていて気づきませんでした」というケースが多かった。むしろ、相手投手へのプレッシャーになっていたのかもしれない。

 曲を演奏するタイミングを決めていたのは、野球部3年でスタンドにいた江里口雅也さんだ。終盤の「ここぞの場面」や、チャンステーマの後にたたみかけるように使ったという。

 応援で試合の流れが変わる、そんな高校野球の面白さを教えてくれた曲だった。

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