【証言⑬】ネリャ・スコリクさん 「若いロシア兵はきっと小鳥のように殺されただろう」
ロシア兵と交流した。
キーウ近郊ブチャで取材をしていると、そう話す人たちにも出会った。
民間人の殺害など、ブチャ周辺で残虐の限りを尽くしたロシア軍にあって「例外的」な証言だが、ロシア軍も一色ではなかったという点で貴重と思うので、紹介したい。
5月2日の夕方、街を歩いていると、民家の通りに面した門扉を開け、人通りを眺めている女性がいた。
ネリャ・スコリクさん(92)。
右手に杖、左手に草。さっきまで草むしりをしていたようだ。
私が声をかけると、立ち話になった。
退避先からブチャに戻ってきた時期を尋ねると、驚いたことに、こう答えた。
ずっと自宅にいました。
占領下ブチャでの1カ月間を語ってもらった。
【プレミアムA】「死の通り」 ブチャ 生存者の証言
ロシアによるウクライナ侵攻から半年。大量虐殺の悲劇に見舞われた街ブチャに「死の通り」と呼ばれる場所があります。ロシア占領下の「絶望の1カ月」とは。生存者の証言を「一人称」の視点で伝えます。
3月上旬だったと思います。
やけに大きなエンジン音が聞こえるなと思っていたら、隣の空き家が若いロシア兵の宿舎になったようで、隣家の庭先に装甲車両1台が停車していました。
向かいの空き地にも別の装甲車2台がとまっていました。
大変なことになったと思いました。自宅の真横にロシア軍の装甲車両があるので、ウクライナ軍の反撃に自宅が巻き込まれるかもしれないと、不安にもなりました。
ひょんなことから若いロシア兵との交流が始まったスコリクさん。「お母さんはあなたがウクライナ侵攻に来ていることを知っているの? 許したの?」。スコリクさんが尋ねると…
■ある日、隣家の外に少年(…