東京は弱い街に戻る? 関東大震災100年目のまちを専門家と歩いた
近代化した首都圏を関東大震災が襲ったのは、1923(大正12)年9月1日のこと。
10万人の犠牲者を出した震災から我々はどんな教訓を得たのか。100年を迎えるのを前に、30年以上関東大震災を研究してきた名古屋大減災連携研究センターの武村雅之特任教授と東京を歩いた。
2023年9月1日で関東大震災から100年。当時を振り返り、現代にも通じる教訓を探ります。
「異状の悪臭が二重のマスクを通して鼻を衝(つ)き、歩行すること能(あた)わず。地上にある人間世界とは思われぬ悲惨さである」
1923年9月7日付の大阪朝日新聞夕刊は、陸軍被服廠(しょう)跡(東京都墨田区)の状況をこう報じている。当時の写真には、焼け焦げた遺体が折り重なっているものもある。
ここは当時、空き地だった。約4万人が避難したが、炎の竜巻とも呼ばれる火災旋風も起きて四方を火に囲まれ、関東大震災の犠牲者の3分の1を超える約3万8千人が亡くなった。
現在の被服廠跡には、青緑色の屋根の和風の建物、都慰霊堂が建ち、手を合わせに来る人が後を絶たない。
「避難者たちが持ち込んだ家財道具が急速に延焼を引き起こし、大惨事の原因となったと考えられます」と武村さん。
約6万人が逃げ込み、似た状…

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