第11回寂聴さんを密着撮影17年 「私の死に顔を撮りなさい」と言われて

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聞き手・岡田匠
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中村裕さんに聞く①

 瀬戸内寂聴さんに密着取材すること17年。映像ディレクターの中村裕(ゆう)さん(62)ほど寂聴さんに迫った取材者はいない。「ゆうさん、ゆうさん」と親しまれ、「私の死に顔を撮りなさい」と言われた。中村さんだからこそ知る寂聴さんの素顔とは。

連載「寂聴 愛された日々」はこちらから

ゆかりがある方々へのインタビュー連載。秘書の瀬尾まなほさんが寂聴さんの素顔を語っています。

 ――寂聴さんを取材するきっかけは何ですか?

 2004年のドキュメンタリー番組「情熱大陸」です。毎日放送から「瀬戸内寂聴さんを撮れないか」と声がかかり、たまたま空いていた私に回ってきました。京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)に取材を申し込むと、スタッフから「忙しくて何日間も密着なんて無理」と断られました。でも、当時の秘書を何度も口説いて実現しました。

 名古屋の御園座(みそのざ)で撮影したのが初めてでしたが、おじけづいて、先生に近づけませんでした。作家って怖そうじゃないですか。気分屋で、すぐに機嫌が悪くなるイメージがありますよね。先生が大ジョッキの生ビールを勢いよく飲んだのですが、カメラを回すことができませんでした。そのあと、新幹線のなかで先生が「書いているところは撮らなくていいの?」と気づかってくれました。ありがたい話です。大作家が自ら誘ってくれるわけですからね。

 ――海外にも同行取材したんですよね?

 情熱大陸の翌年だったと思いますが、NHKの番組の企画で先生に海外取材をお願いしました。好きな作家のゆかりの地をめぐるという企画です。先生はフランソワーズ・サガンが好きだと言うので、フランスに10日間ぐらい行きました。アンドレ・マルローの娘さんにも会いましたよ。そのあと、世阿弥を取り上げて佐渡島に行き、海外だとドイツにも同行取材しました。

 だんだんと親しくなり、法衣を着ていないときの取材もするようになりました。出会ったころは、プライベートを撮れるなんて思ってもいなかったんですけどね。撮影は通常、カメラマンと録音の人を連れて3人ぐらいで行くんですが、どうしても答えにくいことが出てきます。自分ひとりでカメラを回すことにしました。

 先生が東京にくるたびに会いに行きました。帝国ホテルかパレスホテル東京が定宿で、一緒にご飯を食べているときもカメラを回しました。ぼくが寂庵に寄るときも、ダイニングキッチンのテーブルの上に本や辞書を積み、その上にカメラを置いて撮影しました。

 ――常にカメラを回している状態だったんですか?

記事の後半では、テレビの視聴率も気にする流行作家としての寂聴さんの姿が語られます。

 そうです。先生の言葉や表情…

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