第21回文革のさなか、林彪事件 それでも周恩来は松山バレエ団を見に来た

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聞き手・坂尻信義
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 日本を代表するバレリーナの森下洋子さんとパートナーの清水哲太郎さんが率いる松山バレエ団が中国で初めて公演したのは、国交正常化の14年も前、1958年にまでさかのぼります。バレエ団の創立者、清水正夫さんが東京で見た1本の中国映画が、そのきっかけだったといいます。父の清水正夫さんと母で日本バレエ界の草分け的存在の松山バレエ団創立者、初代プリマの松山樹子さんへの思いも含め、清水哲太郎さんと森下洋子さんに語ってもらいました。

森下洋子さん

1948年、広島市生まれ。松山バレエ団団長兼理事長。プリマバレリーナ。74年、ヴァルナ国際バレエコンクールに清水哲太郎さんとともに出場し、日本人初の金賞。82年、日本人として初めてパリのオペラ座に出演した。

清水哲太郎さん

1948年、東京都生まれ。松山バレエ団総代表。77年、森下さんとともに「ジゼル」で文化庁芸術祭大賞。松山バレエ団のすべての作品で、演出、振り付けをつとめる。

 清水)松山バレエ団の創立は、戦後まもない1948年です。近代において戦争や差別で中国やアジアの人々に非常な苦難をもたらした日本が、文化、芸術で中国に侵略の贖罪(しょくざい)と数千年にわたる文明・文化の恩恵をいただいたご恩に感謝をあらわしたいという強い思いが、両親(清水正夫、松山樹子)にはありました。

 たまたま東京の下町の小さな会場で上映された中国映画「白毛女」を父・清水正夫が見て、震えるほど感動したそうです。それを聞いた母・松山樹子も続けて見て、「これをぜひ、クラシックバレエにする!」と霊感に震えた、といういきさつがあったのです。

 ――歌劇「白毛女」は、貧しい農家の娘が悪徳地主の横暴に抵抗して雪山へ逃げ、白髪になるほどの苦難の末、農民と共に立ち上がり、村を解放していく中国の民話に基づく物語。新中国建国後、訪中した日本の政治家が、北京で映画「白毛女」を見て感動し、周恩来首相から35ミリのフィルムを託され、日本各地の大小の会場で上映されました。

 森下)中国に対する感謝と謝罪。この物語は、クラシックバレエとしてすばらしいものができるという松山樹子、清水正夫両先生と大多数の日本人の心の深層の思いが込められている。そう感じています。両先生の手による創作バレエ「白毛女」の主人公、喜児は松山先生が初代を演じられました。

 清水)松山バレエ団の第1回中国公演は、1958年。団員は横浜港からイギリスの貨客船に乗り込み、59日間をかけて北京、重慶、武漢、上海を訪れ、バレエ「白毛女」やクラシックバレエ代表作品などの演目を披露しました。

 中国の人たちは、「白毛女」という自分たちの生活を描いた物語を日本人だけで創作バレエにして踊っていることに衝撃を受け、巨大な反響を呼びました。生粋の日本人だけで、中国の物語「白毛女」を上演して、一瞬にして一気に日本人の感謝と贖罪の思いを表したというところが、清水正夫・松山樹子の発想のすごさだと思います。

 ――清水哲太郎さんは、高校を卒業後、中国に留学しました。

 清水)父が周恩来総理に勧められたのです。周総理が「あなたの息子を留学させたら……」というような感じだったそうです。

 最初は音楽と指揮を学ぶつもりでした。ところが留学生活が始まってまもなく、中国全土がなだれ込むように文化大革命に突入しました。

 通うつもりだった北京中央音…

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