第14回「センチメンタルな考えよ」 寂聴さんに叱られた最後のインタビュー

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聞き手・岡田匠
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中村裕さんに聞く④

 2022年5月15日は、瀬戸内寂聴さんが生きていれば100歳の誕生日だった。これにあわせ、寂聴さんのドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が5月に公開された。17年間も密着取材を続けた映像ディレクターの中村裕さん(62)が監督を務めた。寂聴さんの晩年の姿を伝える貴重な映像だ。

連載「寂聴 愛された日々」はこちらから

ゆかりがある方々へのインタビュー連載。秘書の瀬尾まなほさんが寂聴さんの素顔を語っています。

 ――いつから映画の話が持ち上がったのですか?

 3年ぐらい前だったと思います。100歳の誕生日のころに、なんとなく形にできればいいなと話していました。でも、コロナ禍になって、なかなか進まず、先生が昨年11月に亡くなったあと、撮りためた映像を見返しました。300時間ぐらいにも上り、まず50時間ぐらいにしぼってから編集しました。

 自分で台本を作り、このインタビューは、ここからここまで使って、このシーンには、こういうナレーションを入れてと、その繰り返しです。映像を見ると、「え~、こんなことも話していたのか」と覚えていないこともありました。

 ――映画にもありましたが、中村さんが見たここ数年の様子を教えてください。

 15年の安保法制への抗議で国会前に行ったり、天台寺(岩手県二戸市)で青空説法をしたり、94、95歳ぐらいまでは、あちこちに行っていました。その後、心臓のカテーテル手術をしたり、ちょくちょく入院したりして、先生も衰えを感じていたと思います。「精神は大丈夫だけど、肉体は衰えている」と言っていました。

 昨日できたことが今日はできない。だけど、はたで見ている分には、また復活するだろう、105歳までは生きるだろうと、勝手に思い込んでいました。だって、先生ですからね。

 コロナ禍になって、毎月、寂庵で開いていた法話は20年1月が最後になりました。このときの法話の様子が先生の密葬のときに会場で流されたんです。なんて元気なんだろう、なんて生き生きしているんだろうと活気に満ちていました。先生にとって、法話がなくなった影響は大きかったと思います。

 ――どんな変化がありましたか?

記事の後半では、中村さんが寂聴さんへの最後のインタビューを振り返ります。

 作家ですから書くことがメイ…

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