第3回犬が吠えた夜、3人の息子は殺された 「空白地帯」だった村で
「治安には、自信がある」
食堂のテーブルを挟んで向き合った軍当局者が言った。
「どれくらい?」
私はそう問いかけてみた。
「一部の場所を除けば、外国人のあなたも一人で旅行ができるくらいだ」
見事な口ひげをたくわえた口元を緩ませ、笑った。
「え? 本当に?」
でも、この国の過去を考えれば、疑心暗鬼になる。
外国人の私にとって、テロやロケットなどによる奇襲より、誘拐されることが恐ろしい。取材をするうえで、治安が死活的に重要になる。
銃撃の危険を考えて防弾車を使うこともあれば、目立つのを避けるために普通の車で移動する時もある。
現地スタッフ、軍、警備会社、信用できる地元住民。聞き取りをしてリスクを調べたうえで、取材の可否を決める。
それでも、肝が冷えるような思いをすることはあった。武装勢力に「スパイ」だと疑われ、逃げるようにその場を後にしたこともある。残念ながら現場に行くのをあきらめることもあった。
だが、今回の取材では「安全だから心配しないで」「治安は格段に良くなった」という言葉を何度も耳にした。
時には「愚問だよ」と笑われた。
確かに「体感」では以前と比べてはるかに治安は良くなっている。
同行した通訳の女性は、「今、ここがイラクで一番安全な街とさえ言う人もいる。彼らの功罪の『功』かもね」と、冗談めかした。
彼ら――。
斬首、銃殺、むち打ちの刑。
2014年6月、イラク北部の200万都市モスルを最重要拠点とし、住民を恐怖で支配した過激派組織「イスラム国」(IS)のことだ。
ISは前身の組織がモスルを制圧し、「国家」の樹立を宣言。一時はイラクとシリアにまたがる領土の3分の1を占拠したが、米軍主導の有志連合などによる攻勢で弱体化。17年7月、モスルは解放された。
それから5年が経った。
通訳の女性は、軍や警察が警備を厳重にしたことで、イラクの他の場所よりも安定した治安が保たれている、との意見だった。
軍当局者は、軍や各治安機関が市民の情報も吸い上げながら、ISの「休眠細胞」を先んじてつぶしていると説明した。
イラク政府は17年末にISの掃討完了を宣言していた。だが、この当局者は「市民を安心させるためだった。やつらとの戦いはまだ続いている」とも話した。
ISは19年3月にシリアにある最後の「領土」を失った。最高指導者のバグダディ容疑者は同年10月、米軍の急襲で死亡。今年2月には後継の指導者も失った。
一方、中東やアフリカなどでゲリラ型の攻撃を繰り返すなど、完全に排除しきれていないのが現状だ。
今年7月の国連の報告書は、ISが依然、力のある持続的な脅威であるとし、イラクとシリアで6千~1万人の戦闘員が潜伏していると指摘。資金源については、恐喝、身代金目的の誘拐、寄付などを挙げている。
「強くなって戻ってくる」
「おびえなくて大丈夫。私たちは日本のジャーナリストです。話せることだけ、話してくれたらいい」
不安そうな目をしてモスルのとある民家の部屋に入ってきたハドル・ムハンマドさん(22)に、朝日新聞の現地スタッフが声をかけた。
昨年2月、ハドルさんはISにさらわれた。
まだ薄暗い、冬の早朝。
仕事場に向かうミニバスに乗るため、大通りに出る途中だった。家から歩いて10分ほどしか離れていない場所だ。
背後から迫ってきた、韓国製…
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