これが日本の望んだ中国なのか 深まった経済依存、夢見た協調は…

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編集委員・吉岡桂子
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 経済力を武器に国際政治を操ろうとする大国を育てたのは、日本だったのか。

 1996年6月、フランス・リヨンで開かれた主要7カ国首脳会議(G7)。

 「中国の世界貿易機関(WTO)への早期加盟が重要だ。中国を国際的な枠組みに迎え入れる努力をすべきだ」

 席上、日本の首相の橋本龍太郎は、欧米首脳との個別の会談を含めて熱心に訴えてまわった。

 この時、中国が民主化運動を武力で弾圧し、世界に衝撃を与えた天安門事件からまだ7年。橋本は蔵相だった91年、事件後に初めて訪中した西側の主要経済閣僚でもある。「中国のWTO加盟を強力に支持する」が口ぐせだった。

 外務審議官としてサミットで首相を補佐するシェルパを務めた小倉和夫は振り返る。「中国を国際ルールの中に引き入れるには安全保障はすぐには難しいが、貿易であれば可能だろう、と。中国が国際社会で予見可能な行動をとる一歩になると期待されていた」

 日本政府内には、米国との激しい貿易摩擦の記憶もあった。「大国とは二国間でやりあうと政治的な力で押し切られる。中国とも国際ルールの中で処理する方が得策だと考えられてもいました」

 大蔵(現財務)省で国際金融を担当する財務官として、サミットに同行した加藤隆俊は指摘する。

 「日本は戦後、通貨・金融ではブレトンウッズ体制、通商ではWTOの前身となるGATT(関税貿易一般協定)に入ることで敗戦から劇的に立ち直った。改革開放を進めていた中国を既存のルールに引っ張り込んで自らと同じ足取りで成長すれば、隣国日本にとっても経済的な利益が大きいと考えられていた」

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