第11回パンダ研究の本場、唯一の外国人の日本人の問い 「動物園に必要?」

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聞き手・井上亮
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 世代や国境を超えて愛されるパンダ。日本には1972年9月の日中国交正常化の翌月に、カンカンとランランが初めて中国からやってきました。それから50年。本場中国の四川省にある「成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地」で、約100人いる飼育員の中で唯一の外国人飼育員である阿部展子さんが奮闘しています。パンダに魅せられ、人生を捧げる彼女ですが、「かわいいだけで終わってほしくない」と言います。

阿部展子さん

 38歳。新潟県津南町出身。実家は祖父の代から養蜂業を営む。四川省暮らしは10年を超えた。四川なまりの中国語も操り、同僚が「初めは日本人だとわからなかった」と言うほど。著書に「パンダ飼育係」。

 ――基地ではどんな仕事をしているのですか。

 母親と赤ちゃんパンダの世話をしています。

 基地には昨年末時点で222頭のパンダがいて、私が働く産室には、4頭の母親と6~7月に生まれた赤ちゃんが6頭います。

 そのうち、私の担当は母親2頭、赤ちゃん2頭。以前は成獣や子どもから大人になる段階の亜成年のお世話が多かったのですが、今年、初めて出産から全ての過程をメインの飼育員として担当させてもらっています。

 ――赤ちゃんのお世話は苦労が多そうですね。

 現場を仕切る立場になったので責任は重いです。パンダの赤ちゃんは生まれたばかりの体重が平均で120グラムほどしかなく、さらに未熟な状態で生まれることもあります。

 病気にもなりますし、順調に母乳を飲めない場合もあります。

母乳が飲めない赤ちゃんパンダがいたら

 ある赤ちゃんが母親の母乳を…

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    福田直之
    (朝日新聞コンテンツ編成本部次長=経済)
    2022年9月6日13時20分 投稿
    【視点】

    「孫子」には「彼を知り己を知らば、百戦あやうからず」という言葉があります。自分だけでなく相手もよく知れば、何度戦っても負けることはないという意味です。この考えは通常の人間関係や国家間関係にも応用できます。中国が軍事的、経済的に強大化するなか

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