秘密の交渉、眠れぬ夜 社長はなぜ、祖業の造船を売ると決断したのか
招集された役員たち 突きつけられた資料には・・・
会社を起こした創業者が、最初に手がけた事業、それが祖業だ。会社の数だけ祖業はある。その歴史は会社の歩みと重なる。
上田孝(70)が、祖業を売ると決めたのは、2年前の夏だった。
2020年8月17日、中堅造船会社サノヤスホールディングス(HD)社長だった上田は、大阪・中之島にある本社の会議室に、造船事業の子会社の役員を集めた。
役員らに示した資料には、
「造船以外の事業の売却」
「造船の売却」
「現状のままでの他社傘下入り」と、三つの選択肢が並んでいた。さらに、
その横には「今何もしなければ、いずれ法的整理に追い込まれる可能性大」とも書かれていた。
上田は言った。
「造船と、造船以外の両方の事業が生き続けるには、どうすればいいか。私の意見は、造船を体力がある新来島(しんくるしま)どっくの傘下に入れれば、造船も生き続けられるし、残った事業も生き続けることができる」
上田の発言は、造船事業を同業他社に売却する、という意味だ。新来島どっくは、愛媛県今治市にある中堅造船会社で、瀬戸内海や愛知県、高知県の造船会社を買収してグループを拡大してきた。
役員たちは、言葉が出なかった。
渡辺義則(65)のショックも大きかった。海運会社や船主から船の注文を取ってくる営業の責任者だった。
「造船は非常に厳しかった。だから、この事業をどうするんだっていうことは冷静に考えなきゃいけないんだけれども、それでも心中穏やかではないですよ」
造船は、サノヤスHDの売上高約500億円の6割を占める大黒柱の事業だ。
100年以上も前、船大工の修業を積んだ佐野川谷(さのがわや)安太郎が大阪の木津川べりで始めた祖業である。水島の造船所(岡山県倉敷市)には、全長200メートル以上ある貨物船を年に最大12隻造る設備を持つまでに至った。
しかし、建造量で首位の中国や、台頭する韓国勢に対抗すると安値受注になり、造るほど赤字が膨らんだ。20年度は、前年度に続いて大幅な赤字が避けられない状況だった。
役員たちから反対する声は出…