こけし「たこ坊主」が生誕100年 異彩放つ顔つき、女性にも人気

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酒本友紀子
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 ギョロッと見開いた目、しっかりした獅子鼻、目の周りの赤み――。こけしの中でも異彩を放つのが、福島県猪苗代町の温泉街生まれの「たこ坊主」だ。こけしの本場、東北の伝統こけしの中で長らく「亜流」のポジションに甘んじてきたが、4年前に12系統目として独立を果たした。誕生100年にあたる今年、地元をあげたイベントや企画展で知名度アップを図る。

 たこ坊主は、福島県中央部にある猪苗代湖から北東13キロの中ノ沢温泉で生まれた。湯治場としてにぎわいを見せていた大正11(1922)年、流れの木地師だった岩本善吉(1877~1934)がこの地に立ち寄り、住み着いたことに始まる。芸達者で手元も器用な善吉は温泉街の人気者になり、孫への土産にと頼まれて作ったこけしが温泉客らの評判を呼んだ。

 これを息子の芳蔵(1912~73)が継いで弟子を育て、「中ノ沢こけし」として確立。いつからか「赤らんだ顔が酔っ払いのようだ」と、たこ坊主の愛称で呼ばれるようになった。

 こけしは「癒やしのほほえみ」と言われるように、穏やかな表情が一般的。なぜたこ坊主は独特なのか。

 「善吉の宴会芸だった『逆さ踊り』がルーツという説が有力」と話すのは、中ノ沢温泉旅館組合で働き、郷土史研究にも取り組む安部なかさん(71)。栃木出身の善吉は芸妓(げいぎ)屋の養子だった時期があり、踊りは得意だった。三味線に合わせた逆さ踊りで、股の間に挟んだ張り子の面がたこ坊主にそっくりなのだ。

 全国各地のこけしを収蔵する「原郷のこけし群 西田記念館」(福島市)の学芸員、相原聡子さん(42)は「若い頃に浅草で木地師の修業をした善吉が、歌舞伎の『隈取(くまどり)』に影響されたという説もある」と話す。猪苗代町の冬は寒く、子どもたちの目の周りが霜焼けで赤くなるから、とみる地元住民もいるという。

 諸説あるにせよ、たこ坊主はこけし界で独自の存在感を示していた。だがそのたこ坊主を代表とする「中ノ沢こけし」は長らく、山を隔てた福島市の土湯温泉発祥のこけし「土湯系」の亜流と位置づけられていた。

 善吉の息子・芳蔵の弟子たちが「中ノ沢系」の独立呼称を訴え、土湯系の工人組合やこけし研究家らにも働きかけ、2018年に土湯系の組合から独立が許された。実に40年近くの運動が結実した形だった。

 ただ、東北6県にある伝統こけしの「新系統」としての知名度はまだまだ。いまだに「土湯系の一つだ」という見解も根強い。相原さんは「頭頂部の特徴など一部は一致するが、個性的な顔と写実的な桜やボタンといった胴模様は特有のもの」と話す。西田記念館では、地元のひいき目なしで「中ノ沢系」を単独の系統と紹介している。

 たこ坊主は昭和初期の最盛期、中ノ沢の温泉街を中心に十数人の工人が腕を振るっていたが、徐々にその数は減り、一時は3人ほどになった。

 しかし、東日本大震災後に復興支援も相まって訪れた「第3次こけしブーム」の波に乗り、たこ坊主もその独特の見かけから、こけし好きの若い女性「こけ女」たちの人気を集めるようになった。西田記念館の販売コーナーでも売り上げは一番で、遠方からの問い合わせも目立つという。

■「こけしで人が来るのか?」…

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