(魂の中小企業)中華の名職人、星になったカリスマシェフに誓った
京都市は中京区、その烏丸御池に、「魏飯餃子(ぎはんぎょうざ)」という台湾料理の店があります。
オープンは、ことし7月。餃子と、数々の台湾小皿が出されます。
経営するのは魏禧之(ぎ・よしゆき)さん、64歳。中国料理の世界では日本のみならず、中国や台湾でも名の知れた料理人です。
店の営業は夜だけです。でも、朝から大忙しです。
魏さんが経営する有限会社「華都公司(かとうこんす)」では、ほかにも3店舗を営んでいます。通信販売もしていますし、キッチンカーでの移動販売もしています。
それらすべてに向けた食材の下ごしらえなどをしているのです。生産能力は、それまでの10倍になったのだとか。
飲食業界の仕事のたいへんさは、広く知れ渡っています。スタッフのみなさん、朝から夜中までたいへんですね?
「いいえ、うちは朝から働くスタッフと、夜営業のスタッフの交代制。朝からの勤務は、原則、8時間。夜のスタッフも8時間勤務に向けて準備をしています。飲食の世界も、働き方改革をしなくては」
そうなんですか! それにしても、この店、町並みに溶け込んでいますねえ。
「当たり前です。だって、築90年の町家を使ってますから」
なるほど、さすが景観を大切にする京都。
「この店、もともとは、大人気だったイタリア料理の名店でした。ですが、私が敬愛していたカリスマ・シェフが逝ってしまい、閉店に追い込まれました。それを、私が引き継いだのです」
働き方改革、店を守る。
すべては、星になったシェフとの、料理の壁を越えたつきあいの日々から始まったのだそうです。ふたりの交流を理解していただくために、まず魏さんの半生をたどります。
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東京タワーが完成した1958年。魏は、横浜中華街にある店の子として生まれた。
横浜中華街。いまは観光客でにぎわう、きれいな街だ。だが、魏の子ども時代は、敗戦の傷痕が色濃く、その筋の人たちによる「ヤミの仕事」も行われていた。
魏は、哺乳瓶を口にして、グ…
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