ゴダールが映画を一新…それは真っ赤な噓である 蓮實重彦さん寄稿

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 「息たえだえに」を意味するフランス語の慣用句を原題とした長編第一作「勝手にしやがれ」(1959年)で「世界に衝撃を与えた」といわれるジャン=リュック・ゴダールは、その日本語の題名故に、わが国では「自分勝手」な映画作家と見なされがちである。それは、ある意味で正しいといわねばならぬ。彼は、自分に相応(ふさわ)しい作品しか撮ってこなかったからだ。しかも、ゴダールは、みずからの生命さえおのれで操るかのように、自死同然の振る舞いで他界してみせたという。何ということだ!

 しかし、「ゴダールの衝撃」なるものの実質について見ると、彼ほどみずからの「影響」を自粛した監督もめずらしい。60年代にトリュフォーやシャブロールとともに「ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手として世界の映画シーンを一新したなどといわれているが、それは真っ赤な噓(うそ)である。ゴダールのような映画を撮った映画作家は、世界に一人として存在していないからだ。ことによると、唯一の例外は日本かもしれない。実際、ある時期の黒沢清監督だけが、ゴダール風の映画を撮ることに成功しているからである。しかし、それは、彼が「勝手にしやがれ!!」というヴィデオ作品シリーズを撮ったこととはいっさい無縁である。長編第二作の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(85年)こそ、ゴダールの身勝手な毛沢東的な西部劇「東風」(70年、ジガ・ヴェルトフ集団名義)を見てしまったことの痛みと甘さとをなだめるように反芻(はんすう)しながら撮られた感動的な作品にほかならぬからである。

 現在の世界では、合衆国や日…

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