「怪童」と呼ばれ愛された棋士 将棋への熱意、今も宿る聖地

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佐藤圭司
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まだまだ勝手に関西遺産

 「怪童」と呼ばれ、愛された将棋棋士がいた。亡くなって24年。青春を過ごしたアパートの部屋は今、ファンの聖地になっている。

 「東に天才羽生(善治九段)がいれば、西には怪童村山がいる」。そう称されながら、幼少期から腎臓の病気に苦しみ、29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖(さとし)さん(1969~98)。両親や師匠・森信雄七段(70)らの愛情に支えられ、名人戦の予選にあたる順位戦では最上位のA級まで昇り、その生涯を描いたノンフィクション「聖の青春」(2000年、大崎善生さん著)は、劇や映画やテレビドラマにもなった。

 広島県府中町出身の村山さんは、「西の将棋の総本山」関西将棋会館大阪市福島区)の近くのアパートの1室を借り、拠点とした。棋士養成機関「奨励会」で修業していた16歳から亡くなる直前の28歳まで借りていた部屋は、今もほぼ当時の状態で残っている。いわば「聖の部屋」だ。

 「大阪市北区大淀南3の4の…

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