29歳で獄死した反戦川柳作家・鶴彬 故郷で碑前祭

樫村伸哉
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 戦前に反戦を貫いた鶴彬(つるあきら)(1909~38)という川柳作家がいる。獄中で29歳の命を閉じて84年となる14日、故郷の石川県かほく市で法要や碑前祭があった。参加者たちはロシアのウクライナ侵攻にも思いを寄せつつ、「ペンは剣より強し」を体現した鶴に祈りをささげた。

 鶴の墓碑がある市内の浄専寺で法要があり、約20人が焼香した。住職の平野喜之さんは、主催する「鶴彬を顕彰する会」の事務局長。鶴が治安維持法を批判して1928年に発表した〈墨を磨(す)る如(ごと)き世紀の闇を見よ〉の思いをかみしめたいという。「闇と向き合って暴いた鶴のように、今も広がる世界の闇を明らかにするような生き方をしなければ」と話した。

 鶴の本名は喜多一二(かつじ)。当時の高松村に生まれ、15歳のころに川柳を始めた。17歳で大阪の町工場で働き始め、19歳で上京すると、「鶴彬」の名で多くの川柳を発表した。職を失った人や酷使されて体を壊した女性ら弱者に視線を向けた。

 〈軍神の像の真下の失業者〉

 〈ふるさとは病と一しょに帰るとこ〉

 市内の高松歴史公園であった碑前祭で、鶴のおいにあたる喜多義教さん(75)があいさつした。「ウクライナ侵攻、自民党と旧統一教会の癒着、安倍晋三元首相の国葬強行を考えると、今ほど国家とどう向き合うべきかを問われる時代はない」。参加者が花を手向けた句碑には〈枯れ芝よ団結をして春を待つ〉と刻まれている。

 鶴は戦争の真実を鮮烈な言葉で切り取った。

 〈銃剣で奪った美田の移民村〉

 〈タマ除(よ)けを産めよ殖やせよ勲章をやろう〉

 喜多さんは「鶴が訴えた戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝える運動が広がってほしい」と語った。

 日中戦争が始まって4カ月後の37年11月。鶴が発表した6句が絶筆となった。

 〈屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい〉

 〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉

 〈胎内の動き知るころ骨がつき〉

 戦争を美化する国に怒り、兵隊や遺族の悲しみに寄り添い続けた。鶴は同12月に治安維持法違反で逮捕され、翌38年9月に獄死した。

 碑前祭では27回目となる鶴彬川柳大賞の優秀作が発表された。全国183人から365句の応募があり、ウクライナ侵攻を念頭に置いたと思われる作品が多かったという。大賞は山形市の中川晴海さんの〈ロシア語にして九条を送りたい〉が選ばれた。(樫村伸哉)

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