第1回「西ドイツがなぜ上席か」国葬前日に届いた抗議、弔問外交とは何か

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田嶋慶彦
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弔問外交の舞台裏① 席次の行方

 日本武道館東京都千代田区)で行われた国葬には、73カ国の外国特使らが参列した。

 1967年10月31日。戦後の復興期に長く首相を務めた吉田茂氏を悼む式典である。時代は東西冷戦のまっただ中だった。米ソの「代理戦争」といわれたベトナム戦争は泥沼に陥り、米国で反戦運動が盛り上がっていた。

 「外務省が最も苦心した」と、内閣官房がまとめた「故吉田茂国葬儀記録」が苦労を詳述しているのは、参列する外国代表団の座席配置だった。

「弔問外交の舞台裏」(全4回)はこちら

 安倍晋三元首相の国葬は、弔問外交の舞台でもある。儀礼であるが、各国の駆け引きも複雑に絡む。吉田茂氏の国葬や、昭和天皇の大喪の礼の記録から、舞台裏を追った。

 偶然にも、国葬の日は米国が支援していた南ベトナム新大統領の就任式と重なった。就任式が国葬より先に決まっていたため「在京各国大使より当惑の色が示された」と書かれている。

 外務省は吉田氏の国葬にあたり、席次の基準を決めた。

 ①「外国から来日する特派使節(特使)を上席にし、西ドイツと中国(当時は台湾=中華民国)は『その地位に鑑み』、この二国がそれぞれ第一、第二席に」

 ②特派使節に任命されたか否かにかかわらず、その他の在京大使は外交団リストにより並べる――などだ。

 つまり、本国から特使として派遣された人物を優先した。日本に駐在する大使より「格上」として扱うことにしたのである。

 ところが、国葬前日に「待った」がかかった。

 日本政府が座席券を配ったと…

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