第2回「国賓待遇」だった国鉄訪中団 日本人技術者の言葉が勇気を与えた

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編集委員・吉岡桂子
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 中国で改革開放の「総設計師」と呼ばれる鄧小平(トンシアオピン)と新幹線は、縁が深い。

 「速い。後ろからムチで打たれて追いかけられているような感じだ。今の私たちにぴったりだ」

 日中国交正常化から6年が過ぎた1978年10月。近代化を急いでいた副首相だった鄧が来日した。事実上の中国最高指導者として、20世紀になって初めて日本の地を踏んだ。

 東京から京都まで東海道新幹線に乗った感想を、改革開放の気概と重ねて語る場面は、中国でも鄧の生涯を振り返るドラマなどで繰り返し取り上げられている。

 見学した新日鉄(現日本製鉄)や日産自動車の工場とともに、新幹線もまた、日本の先進技術の象徴としてとらえられていた。

 「中国の近代化にできる限り協力していきたい」

 鄧の来日から約1年後の79年12月、首相の大平正芳が訪中する。中国政府に対して初めて政府の途上国援助(ODA)の供与を約束した。

【連載】分かれた軌道 新幹線の日中半世紀

東京五輪にあわせて開業した新幹線。ひかりは日本の戦後復興の象徴でした。その超特急に憧れ、追いかけた中国を今、習近平政権のスローガンを冠する復興号が走ります。高速鉄道をめぐる日中の半世紀を8回の連載でたどります。

 初めてのODAとなる六つの…

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