第128回激戦ハルキウから命がけの脱出 ロシア経由、トヨタ車で2780キロ

有料記事ウクライナ情勢

ウクライナ西部リビウ=丹内敦子
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 ロシア軍の攻撃や支配を受けたウクライナの激戦地から、あえてロシアを経由して国内外に避難した人たちがいる。

 占領下の生活は、どのようなものだったのか。

 なぜ、「侵略者」の国へ逃れたのか。

 ウクライナ軍が大半を奪還した後、占領下での民間人殺害などが次々と明らかになっている北東部ハルキウ州出身の男性が、自らの体験を語った。

 2月24日午前5時。ヘナディ・クンダさん(67)は、飼っている5歳のオスのジャーマンシェパードの吠(ほ)える声で起こされた。

 家の外で響く爆発音で、ロシア軍が侵攻したと知った。ロシア国境から17キロほどのところにある、ハルキウ市近郊の別荘に妻と2人で滞在中だった。

 ハルキウ市内の別の場所に暮らす娘と息子は、侵攻開始から30分ほど後、すぐにウクライナ西部に向かった。前夜、クンダさんが「ロシアの攻撃はあり得る」とみて、身の回りの物をカバンに詰めておくよう話していた。

 クンダさん夫妻も荷物の用意はしていたが、逃げなかった。

 クンダさんは1955年、クリミア半島の東にあるクバン(現在のクラスノダール)に生まれた。「民族としてはロシア人で、妻も子どもたちもそうだ。妻とはモスクワで結婚した」

 ソ連軍に従軍してロケット部隊などを経験し、91年、軍事大学で教えるためハルキウに赴任した。ソ連崩壊後もハルキウに残り、その後は同市議も務めた。

 ロシア軍は侵攻開始後、クンダさん夫妻のようなロシア系住民が多いハルキウ州に対しても、容赦ない砲撃を加えた。夫妻が滞在していた街は、ロシア軍と、ハルキウ州に隣接するルハンスク州の親ロ派組織「ルガンスク人民共和国(LPR)」に占領された。

横行する闇市 上がる物価

 占領下のハルキウでは店が閉まって「闇市」が横行し、物価は上昇した。

 闇市では、塩や自家製ウォッカ、薬、食料品などあらゆる品物が同じ棚に並んで売られていた。中でもトイレットペーパーは「とてつもなく高価」になった。

 テレビなど、ウクライナ側からの情報は遮断され、情報はラジオから得た。

 やがて、「ロシアの占領下にとどまった者はウクライナでは20年間、刑務所に入れられる」といった、根も葉もないうわさが広まりはじめた。

 5月末、自宅近くで砲撃音が聞こえた。「戦争が近づいている」と気づき、避難を決意した。

 だが、ウクライナ側の支配地域に通じる橋は全て破壊され、崩落していた。

 残された方法は二つ。

 戦闘の前線を横切るか、ロシアを経由するか、だった。

 クンダさんは後者を選んだ。妻は「私たちはロシア人だけど、ロシアを通過するのは危険だ」と反対したが、「戦闘がここまで迫ってきたら手遅れになる」と押し切った。

 実際、隣の村では、車で前線を横切ろうとした人たちの多くが引き返してきていた。戦闘に巻き込まれて死亡した人もいた。

 とはいえ、祖国を侵略したロシアに逃げて、本当に無事でいられるのかについても、確信はなかった。

 家を出る前、パソコンとスマホにあった「ロシアに不都合な情報」を消去した。入国カードには「モスクワに住む妻のいとこを訪問する」と書いた。

 ロシア軍の占領下で暮らし始めてから約3カ月たった6月1日、トヨタのSUV(スポーツ用多目的車)に、妻と飼い犬と乗り込んだ。

たどり着いたロシア国境で…

 最初の難関は、ロシアとの国境だった。

 「連邦保安局(FSB)が…

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