挫折した人間の美と無重力 柳田将洋を心配した宇宙飛行士の野口聡一

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構成・木村健一
【プロローグ動画】野口聡一さんと柳田将洋の対談。記事後半に本編動画があります
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 バレーボール元日本代表主将の柳田将洋(30)=ジェイテクト=のユニホームは、宇宙を旅したことがある。宇宙飛行士野口聡一さん(57)が男子日本代表の背番号8のユニホームを持っていった。

 野口さんはその後も、昨夏の東京オリンピック前に日本代表から外れた柳田を気にかけていたという。壁にぶつかった時、どう受け止め、前へ進めばいいのか。無重力の宇宙でスポーツは楽しめるのか――。

 2人が対面し、語り合った。

 野口さんは2020年11月、米国の新型民間宇宙船「クルードラゴン」で、10年ぶり3度目の宇宙飛行をした。バレー好きで日本バレーボール協会とも親交があり、ユニホームを持ち込んだ。

 野口 「日本バレーボール協会に頼んで、東京五輪の応援のために男子・女子のユニホームを宇宙に持っていったんです。柳田さんはかつて『ネクスト4』と呼ばれてて、ずっとすごい人気でしたよね。柳田さんが主将を務めていた世界バレーも会場まで観戦に行ったんですよ」

野口聡一(のぐち・そういち)

1965年、横浜市生まれ。91年、東京大学大学院工学系研究科航空学修士課程を修了し、石川島播磨重工業に入社。ジェットエンジンの設計や性能試験業務を担当した後、96年、宇宙開発事業団(NASDA)=現・宇宙航空研究開発機構(JAXA)=の宇宙飛行士候補者に選ばれる。2005年、スペースシャトル「ディスカバリー号」で宇宙へ。20年、米スペースX社の新型宇宙船「クルードラゴン」で自身3度目の宇宙へ。昨年5月に地球に帰還し、今年5月にJAXAを退職。

 柳田は今年7月、カーリングで五輪2大会連続メダルの吉田知那美=ロコ・ソラーレ=と対談。吉田は対談の際、交流のある野口さんから言われた言葉を明かしてくれた。「東京五輪の時、(柳田は代表漏れで)大変な思いをしたから。知那美ちゃんも直前になってリザーブに回った経験あるじゃん。(柳田に)気持ちを聞けたりする?」

 野口 「いきなり本題に入っちゃうんですけど、東京大学では当事者研究というタイトルで、いろんな方の生きづらさに焦点を当てています。一つの切り口が、宇宙飛行士の我々やアスリート。華々しく活躍した後に日常へ戻る時、目標を見失ったり、新しく歩き出すのに苦労したりする方が多い。吉田さんにもその一環でお話をうかがいました」

 「すごく気になっていたのは、予定通り2020年にオリンピックが開催されていれば、柳田さんはキャプテンとして出られていた。運命のいたずらというか、いろんなことが重なって、自分の力が及ばないところで大会がズレて、代表を外れた。きっと思うところがあるんだろう、と。吉田さんと相通ずるもんがあるんじゃないか、と」

 柳田 「結果が伴わなかったこと、終わってしまったことは事実として受け止めました。『コロナ禍』という自分の能力と関係ない影響で(五輪が)ズレたことには、あまりフォーカスを当てませんでした。物事をなるべくシンプルに整理したいんです」

 「今回、東京五輪の選抜から落ちてしまった時も、なんでこうなったのかを深く考えすぎると、たぶん答えはない。壁にぶつかって、答えがないだけに、打ち壊せないぐらい分厚い壁ができてしまうことが何回かあったので。自分の置かれている状況をシンプルに整理して捉えることを癖づけていたおかげで、そこまでダメージはなかったです」

 野口 「五輪は4年おきなので、ドラマがいっぱいある。柳田さんは結果的に、五輪とは相性がよくなかった感じがあるんですか?」

 柳田 「相性もあるかもしれないけど、『実力として評価されてしかるべきだ』というのが僕の考えなんです。コロナで1年遅れたとしても、選ばれる実力があれば関係なかったと思っています。その方が、次に進むエネルギーになると思いました」

 野口 「なるほどね。大会は五輪だけじゃなくて、グラチャン(=ワールドグランドチャンピオンズカップ)や世界選手権など他にもある。うまくピークがあった大会も当然あるわけでしょう。五輪はイマイチだったんですね」

 柳田 「1年間ずっと戦い続けて、いざ本番となった時に、一回息切れしちゃったところもあって。Vリーグでシーズン優勝したそのままの調子でいけませんでした。自分の調整ミス。一発勝負なので、次頑張ろうといっても4年後。力足らずだったなと」

柳田将洋(やなぎだ・まさひろ)

1992年7月生まれ、東京都出身。186センチ、80キロの右利きのアタッカー。東京・東洋高では2010年の全国高校選抜バレー(春高)で初優勝。慶大在学中に日本代表入りし、14年10月にVリーグ・サントリーに入団。15~16年シーズンに最優秀新人賞を獲得。17年にプロに転向して欧州へ渡り、17、19年はドイツ、18年はポーランドのプロリーグでプレー。20年に古巣のサントリーへ復帰し、20~21年、21~22年シーズンの連覇に貢献。18年から21年3月まで日本代表の主将を務めた。東京五輪は直前に代表から外れ、出場を逃した。22年7月、ジェイテクト移籍を発表。

 野口 「五輪の話とは関係なく、新しいところを探してジェイテクトに(チームを)移ったんですね」

 柳田 「関係ないかというと、そうではないです。五輪のコートに立てなかった理由を考えた時、新しい役割を作り上げたいというところがあったので。チームの色やスタイルと、自分の成長したい部分を相談して。新しいチームで新しい役割を探し、チャレンジしたいという結果だったんです。すみません。僕の話ばかりで」

 野口 「いえいえ、柳田さんの話を伺うために来たんです。私の話はいいんですよ」

宇宙への飽くなき興味から、この日の対談をとても楽しみにしていたという柳田将洋。記事後半では柳田から野口聡一さんへの質問が続きます。宇宙飛行士とバレーボール選手の共通点も見えてきました。

 柳田 「宇宙から(地球に)…

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