「はなちゃんのみそ汁」反抗期を経て大学生に 母に誓った努力の日々

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金子元希
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 親子2人だけの15回目の夏を過ごした。還暦が近づく父親の頭には白髪が交じる。大学の勉強にも慣れ、飲食店のアルバイトは二つかけもち。「大人」になった姿をママは見ていてくれているかな、と思う。

 2008年7月。福岡市の安武はなさん(19)が5歳だったとき、母千恵さんが亡くなった。まだ33歳だった。

 その8年前、千恵さんは乳がんが発覚。左乳房を摘出し、副作用に耐えながら抗がん剤治療を受けた。

 それで治ったはずだった。はなさんが03年に生まれた。1歳になる頃、再発がわかった。

5歳のとき、生前の母と交わした約束

 やがてがんは全身に転移した。千恵さんは闘病のかたわら、4歳のはなさんに家事を教え始めた。

 5歳になると、台所に立って包丁を持ってみそ汁を作ることが千恵さんとの「約束」になった。

 はなさんが後で知ったことだが、千恵さんは「娘が1人でも生きていけるように」と願っていた。生前、千恵さんはブログ「早寝早起き玄米生活」に書き残していた。

 《心の準備はしている。ムスメには、できることは何でも自分でさせようと思っています。一人でも強くたくましく生きていけるように》

 こんな思いもつづっていた。

 《今死ぬ気はないから、まだ…

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