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「はなちゃんのみそ汁」父と歩んだ14年 亡き母に見せたい大人の私

金子元希
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 乳がんで母を亡くした5歳の少女が、母との約束を守ってみそ汁を作る――。ドラマや映画で「はなちゃんのみそ汁」として描かれた親子の「その後」を追った1冊の続編が出版された。家族を失った悲しみを抱え、一筋縄ではいかなかった父娘の十数年が赤裸々につづられている。

 福岡市に住んでいた安武千恵さんは25歳で乳がんが発覚。手術と抗がん剤治療を経ていったん治った後、2003年2月にはなさん(19)が生まれた。

 だが、がんは再発。やがて全身に転移した。

 08年7月、千恵さんは33歳で息を引き取った。夫の信吾さん(59)は落ち込み、生きる気力を失った。すると、保育園児だったはなさんが台所に立ち、みそ汁を作り始めた。

 そこには母との約束を守ろうとする姿があった。千恵さんは生前、みそ汁の作り方や洗濯物の干し方といった簡単な家事をはなさんに教えていた。「一人でも生きていけるように」という思いを込めていた。

 はなさんが小学生になり、前を向き始めた信吾さんは家族3人の共著として、闘病記「はなちゃんのみそ汁」(文芸春秋社)を12年に出版した。すると、これを原作にドラマや映画が作られた。

 映画は千恵さんを広末涼子さん、信吾さんを滝藤賢一さんが演じ、話題を呼んだ。

中学生で悩んだいじめ、高校生で迎えた反抗期

 一方で、はなさんは中学生の頃、集団で無視されるなどのいじめに悩むようになった。幼い頃からメディアに登場する機会は多く、「安武はな」ではなく、「『はなちゃんのみそ汁』のはなちゃん」として見られることが多かった。「みそ汁が歩きよる(歩いている)」とからかわれることもあった。

 取材を受けることが嫌いになり、「どうして大人たちは私がどんどん嫌われるようなことをするの?」と思った。今思い出しても、中学時代に楽しい時期はなかった。

 高校生になると、いじめは消えた。だが、はなさんが反抗期を迎えた。ボーイフレンドができて、化粧をして繁華街に出かけ、帰宅も遅くなった。父一人娘一人の生活でも、「2年間ぐらい口をきかなかった」と親子は振り返る。

 でも、はなさんは内心では「自分の思いとは逆に、つらくあたってしまっている」と申し訳なく思っていた。千恵さんに対しても、「みそ汁も作らない生活になっている」と罪悪感があった。

 はなさんが高校1年の12月、「事件」は起きた。持病の腎臓病を抱えていた信吾さんが自宅で倒れた。失神して、意識を失った信吾さんを目の当たりにした。翌年5月にも同じように倒れることがあった。

第1志望の大学に合格

 「心配をかけてはいけない」と反省した。心を入れ替えて受験勉強に力を入れると、昨年春に第1志望の大学に合格した。

 このようにして、父娘が千恵さんを失った悲しみを抱えながら日々を送っていく様子が、今年刊行された「はなちゃんのみそ汁 青春篇(へん)」(同)には描かれている。

 14回目の命日となる今年の7月11日、福岡県糸島市にある墓地に2人で出向き、静かに手を合わせた。

 バイト、学生生活、好きなダンス。大学2年生になり、今を精いっぱい生きている姿をママに見せたい。はなさんはそう誓った。金子元希