国葬の日が近づいている。安倍晋三元首相を悼む儀式だが、作家の赤坂真理氏は「安倍氏の死そのものが遠くなっている」と指摘する。「安倍氏不在」のような状態で迎える国葬は、誰のためのものなのか。話を聞いた。
インタビューシリーズ「国葬を考える」
安倍晋三元首相の国葬をめぐり、世論の賛否が割れています。首相経験者としては1967年の吉田茂氏以来戦後2例目となる今回の国葬をどう考えたらいいのでしょうか。様々な角度から有識者らに聞きました。
――岸田文雄首相は国葬を早々に決めました。どのように感じましたか。
「一国の元首相が、殺され、しかも銃で撃たれるという、尋常でない亡くなり方をしました。そこで岸田首相はとっさに『民主主義の敵による暴力によって倒れた偉大な国民的政治家』を演出しようとしたのではないかと思います。『偉大な政治家が自民党にいた』ように『見せる』ための国葬。それが最初のアイデアではないか、と」
「安倍政治」の本質、岸田首相も
「何もうまくいっていないのにうまくいっているように『見せる』ことは安倍元首相の言動の本質だったと私は感じています。オリンピック誘致のスピーチで原発事故の汚染水問題について『the situation is under control(状況は制御できている)』と言ったのは象徴的です」
「大丈夫と見せかけて、誰が望んでいるかもわからない自由化路線をひた走り、個人的な思想で学術や教育に介入し、個人の権限で多くを動かしたり止めたりし、実は事態を何も収められていない。それが『安倍政治』でした。その態度を、岸田首相も無言のうちに引き継いでいる感じがしました」
銃撃事件が暴露した自民党の空虚さ
――しかし、今回は「見せる」ことに失敗しているのではないでしょうか。
「それだけでなく、自民党の…
- 【解説】
赤坂真理氏の言葉はいまの社会を鋭く指摘しているものばかりです。以下に示す箇所を補助線にすれば、社会の実相が浮かび上がると私は思う。 「大丈夫と見せかけて、誰が望んでいるかもわからない自由化路線をひた走り、個人的な思想で学術や教育に介入