豊前一揆鎮圧の本陣? 中津・三保山に城郭跡

貞松慎二郎
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 大分県中津市の低山・三保(みほ)山(178・9メートル)で、安土桃山時代に築かれた可能性のある城郭跡が見つかり、このほど報道向けの現地説明会があった。「三保山城跡」と名付けられ、尾根筋に残る土塁は約650メートルと広範囲にわたる。豊前一揆(1587年)を鎮圧した黒田・豊臣軍の本陣だったと考えられるという。

 山の南斜面に平安仏がまつられた「金現観音堂」があり、そこから延びる山道を進むと、「加来安藝守統直(むねなお)墓」と刻まれた土豪の墓が立つ。

 その墓の付近一帯を市教委が調べたところ、山頂を囲むように東西80メートル、南北60メートルの範囲で主郭の土塁が確認された。北側にいくつか折れ曲がった箇所があり、東側は十数個の石を並び立たせた石垣面を形成していることがわかった。味方がいた南西部は大きく開かれていた。

 三保山城跡は織田信長豊臣秀吉、またその配下の武将によって築かれた城郭・陣の特徴があり、秀吉の九州平定以降に築かれたものとみられる。抵抗勢力との位置関係から、鎮圧軍の本営だった可能性があるという。

 城の存在は地元でも知られていなかった。今でこそ、山頂は木が茂って視界はさえぎられているが、見下ろすように陣取っていたことを想像すると、興味がわいてくる。調査に携わった市歴史博物館の浦井直幸さん(44)は「中津の中世史があざやかによみがえった。見つけて終わりではなく、広く知ってもらい、地域の方々によって守られていけば」と話す。

 市教委が昨年度まで9年間かけて「中近世城館確認調査」を実施したところ、市内の城跡は推定地も含め145カ所あることが判明。県内の市町村で最も多いという。

 三保山城跡を含め、調査の成果は同博物館で23日~11月6日に開かれる企画展「土豪の城―豊前武士と戦国動乱」で紹介する。貞松慎二郎