第1回国葬で休校 反対して座りこんだ高校生たち 待っていた意外な結末

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矢島大輔
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 その日、白いワイシャツ姿の高校生約20人は、授業を無断で欠席した。

 大阪府の教育委員会へ、抗議に向かうためだ。

 府立高校に対し、「国葬」で弔意を示すため、午後から半日休校とする通達を出していた。

 相反する評価が交錯する首相経験者に対し、国を挙げて功績をしのび、喪に服する。 政治的に中立であるはずの学校が休みになる。

 そんな「国葬」に疑問を持った。

 玄関前に座り込むと、異様さに気づいたマスコミが続々と集まってきた。

 1967年11月1日。吉田茂元首相の国葬が行われた翌朝のことだ。

北野高校に伝わる「国葬事件」

 手に持つ抗議文には、それぞれが調べた吉田氏に対する評価を盛り込んだ。

 「米英との戦争には反対したが、中国への侵略には積極派だった」

 「日米安保条約を結んだ一方、沖縄を米軍統治下にして犠牲にした」

 抗議文を渡せず、1時間ほど座り込んだ後、ようやく府教委の職員が現れた。受け取ると、「係に渡します」とだけ言い残し、去っていった。あまりにあっさりとした対応に、張り合いがなかった。

 生徒たちは学校に戻る道すがら、次第に高揚感は失せていき、口数が少なくなっていった。

 「みんな怖くなっていました。退学処分を心配して、仕事を探すとまで言う生徒もいました」

 当時、大阪府立北野高校(大阪市淀川区)の3年生だった内海正三さんは言う。

 高校入学前、政治の「せ」の字も知らなかった。校則に違反する、初めての抗議行動。緊張のあまり、座り込んだ時間が長かったのか、短かったのかすら覚えていない。

 無届けの集会、授業ボイコット、そして府教委への抗議……。はたして、どんな処分が待っているのか。

 学校に着くと、ちょうど昼休みの時間帯だった。

 生徒たちがうつむき加減で校門を通ると、意外な光景が待ちうけていた。

 建物まで50メートルほど…

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    若新雄純
    (プロデューサー・慶応大特任准教授)
    2022年9月23日18時35分 投稿
    【視点】

    この問題へのコメントは難しいが、若者たちが社会の「揺れ」を感じることができればいいと思う。

連載あの日の「国葬事件」と僕ら~北野高生の回想~(全2回)

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