畑から「発掘」、返しそびれた貴重なお宝ボール 打ったのは村上宗隆

有料記事東京ヤクルトスワローズ

編集委員・中小路徹
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 バケツいっぱいの古びたボールは、今となっては宝物だ。

 熊本県益城町に暮らす浜田雅之さん(77)は、町が所有する福田町民グラウンドのそばで暮らす。

 ここに数え切れないほどのボールを打ち込む中学生がいた。プロ野球・東京ヤクルトスワローズ村上宗隆(22)である。かつて、このグラウンドは、村上が所属していた硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」の練習場所として使われていた。

 「農機具を入れていた小屋の屋根がよく壊されましてね」と、浜田さんは語り出した。

 右翼線ファウルゾーンに小道を挟んで面した自宅家屋そのものは、さして問題はなかった。ただ、ライト場外の土地が当時は浜田家の畑だった。福田町民グラウンドは、左翼に比べて右翼が狭い。対策として防球ネットが高くなったが、それでも、村上の打球は簡単に飛び越える。硬式ボールが畑の農機具小屋に当たれば、板状のスレート屋根を破った。

 村上が打撃を開始すると、熊本東リトルシニアの選手が2人ほどグラウンドの外で、打球を拾うのが常だった。そして、屋根を破ると、走ってチームに報告に行く。

 チームは当初は弁済金を持参したが、いつしか、当番の保護者たちが取り置きのスレートをもって駆けつけた。自分たちで屋根に登り、その日のうちに修繕を終えるようになった。

 「すぐ修繕してくれるので、支障はない」

 浜田さんがバケツいっぱいにたまったボールをチームに返すことも恒例になった。畑の作物や草の間に落ちて埋まってしまい、浜田さんが農作業の際に見つけた打球だ。

 中学生の村上がそれほど、飛距離のある打球を連発していた証しでもある。

 熊本東リトルシニアが練習する週末などに畑に出るのは、硬いボールが次々と飛んでくることを考えれば危険だった。そして、浜田さんにある心境が生まれた。

 「自分が文句を言うと、選手…

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