平城宮跡(奈良市、国特別史跡)の発掘調査で「倭歌」(やまとうた)と書かれた木簡が出土した。奈良文化財研究所(奈文研)が10月31日、発表した。倭歌は、漢詩に対し、日本的な五七調の歌を意味する。今回の木簡は「やまとうた」を示す最古の確実な資料とみられる。
奈文研によると、木簡が発見されたのは、平城宮跡の東側にある当時の中心官庁街「東方官衙(かんが)」付近の排水路。2020~21年の発掘調査で多数の木簡が出土し、その一つ(長さ301ミリ、幅31ミリ、厚さ6ミリ)に「倭歌壱首」と歌の一部と見られる言葉が書かれていた。上智大の瀬間正之教授(上代文学)が「倭歌」の最古の例ではないかと指摘し、判明した。
東方官衙からは当時の役所に関連した木簡が見つかることが多いという。今回のものは奈良時代(710~784年)の中ごろ以前に、下級役人が書いたとみられる。
律令国家の整備をめざして中国文化を採り入れる中、日本最古の漢詩集「懐風藻(かいふうそう)」が751年に成立するように、飛鳥時代以降、漢詩が作られるようになった。一方、奈良時代末に成立したとされる現存最古の歌集「万葉集」で「倭歌」は、730年ごろ、大伴旅人が大宰府から平城京に戻る際の送別会で歌われた4首の歌の説明に唯一見られる言葉だ。
ただ、後世の写本によっては、この部分で「唱和・応答する歌」を意味する「和歌」と表記する例も複数あり、奈良時代に「やまとうた」を意味する「倭歌」が使われていたかはっきりしなかった。
今回の木簡について、瀬間教…