封印したおしゃべり、平成はじめの大政変の立役者 武村正義氏死去

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吉田貴文

 平成はじめの大政変、細川護熙・連立政権発足の立役者の一人、自民・社会・新党さきがけ連立の村山富市政権の実現にかかわるなど、1990年代の政局には常にこの人がいた。その容貌(ようぼう)から「ムーミンパパ」との愛称で呼ばれる一方、状況に応じて自在に動く「バルカン政治家」との評も。硬軟を併せ持つ胆力のある政治家だった。

 自治官僚、滋賀県八日市市長を経て40歳で滋賀県知事。3期務めた後、1986年衆参ダブル選で衆院議員に初当選した。政治改革に邁進(まいしん)する傍ら、93年夏に同志と10人で自民党を離党してさきがけを旗揚げ。日本新党の細川代表と連携し、連立政権では官房長官に就任。国政の主役に躍り出た。

 記者から見た彼は、「おしゃべり」で「したたか」。なにより「やんちゃ」な人だった。

 陽気で誰とでもよくしゃべった。そして、ここぞという時は相手が誰であれ、臆することなく直言した。

 リクルート事件が自民党を直撃した89年、沈黙する党内の空気に反発、会議で「政治と金の関係について党の方針を明らかにすべきだ」と声をあげた。共鳴した若手議員と発足した「ユートピア政治研究会」がさきがけの源流となる。細川首相が唐突に発表した国民福祉税には官房長官でありながら反対。「過ちは改めるにしくはなし」と言い放ち、撤回に追い込んだ。

「おしゃべり」を封印したことも

 「おしゃべり」を封印したこ…

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