園バス置き去り、数字ありきの報道の危うさ 再発防止のための視点を

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中井なつみ
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 静岡県牧之原市の認定こども園に通う女児が通園バス内に置き去りにされ、亡くなったニュースは、テレビ、新聞、ネットメディアなどで連日大きく扱われました。特に、元理事長が会見を開いた後は、特定の個人のバッシングにつながるような内容も増えました。

 心が痛むような事件や事故の後、なぜ「バッシング」の方向へと傾いてしまうのか。その背景について、「社会の怒りが、悪者を設定したいという心理につながっている」と話す慶応義塾大学の津田正太郎教授(マスコミュニケーション論)に、報道の発信のあり方と、受け手として意識したいことについて、話を聞きました。

社会の中の怒り、PVや視聴率にも反映

 ――通園バスの置き去りについて、自戒をこめてうかがいますが、メディアの報道も過熱していった印象があります。どう見ていますか。

 一般論として、幼い子どもが犠牲になっているという時点で、社会の中には大きな怒りが発生しています。その怒りがもとになったストレスがあり、どこかに拳を振り下ろしたくなってしまう。

 その心理が、報道の過熱やバッシングにもつながっているのだと考えます。

 何かショッキングな事故が起きたとき、一時的な感情から大きな怒りを感じてしまうこと自体は、仕方ないことでもあります。ただ、その背景にいろいろな事情が絡んでいる可能性を考えるのは地道で複雑な作業ですし、知識も必要になってきます。それよりも、「誰が悪いのか」「何が悪かったのか」というように、わかりやすい形で「悪者」を設定してしまいたくなります。

 個人の中にわき上がった「怒り」や「フラストレーション」は、世論としても表れ、これを体現してくれるメディアの視聴率やPV(ページビュー、閲覧数)などの数字にもつながっていきます。数字によって受け手側のニーズが目に見えるので、メディアとしてもこうした話題を取り上げようとする意向が働くのではないでしょうか。

 ――「悪者」が設定されたとたんに、バッシングが集中するような発信も目立ってくるように感じます。

 いったん、「この人が悪い」という設定で物語の解釈が進むと、どんな事実が出てきたとしても、その物語に合わせる形で解釈が進んでしまいます。「あの人はとんでもない考えを持っている」「ひどい人だ」。直接には関係しない過去のことも、とにかく悪意を持った形で解釈されてしまう恐れがあります。

 その逆もまたしかりです。例えば、何かの事件や事故のご遺族の報道を思い返してみると、その多くが「つらい」「悲しそう」という側面を強調します。中には、「かわいそうな遺族」としての役割を期待され続けることの苦しさを感じるケースもあります。

 ある事件や事故のご遺族として出られていた方が、ある時、とても楽しそうに過ごしていた、といった情報があったとき、そこにもバッシングが起きるリスクもあります。

 そうした意味で、「物語」としてものごとを理解してもらうことについては、メリット、デメリットが非常に大きいことを、報じる側もきちんと認識していなくてはいけないと思います。

1人の顔が浮かぶ報道、大切だけど

 ――「物語として理解してもらう報道」のメリットとは、どのようなことでしょうか。

 メリットとしては、そのニュースに感情移入できるので、人々の関心を集め、維持できることがあげられます。

 「1人が被害に遭いました」…

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