猪木氏やデヴィ夫人、ロッドマン氏も 有名人に接近する北朝鮮の打算

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牧野愛博
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 今月1日に亡くなった元プロレスラー、アントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんは生前、北朝鮮を計33回訪れた。きっかけは、北朝鮮で生まれた力道山の「唯一のまな弟子」という縁だった。他にも北朝鮮が関心を持った著名人は数多い。背景には北朝鮮なりの様々な打算がある。

 猪木さんは1994年に初めて訪朝。金正日(キムジョンイル)総書記の側近だった金容淳(キムヨンスン)朝鮮労働党書記に、北朝鮮でのプロレス興行を約束した。95年4月に平壌のメーデースタジアムに20万人近い観衆を集め、興業を打った。

 在日朝鮮人の一人によれば、北朝鮮は当時、力道山を使った商売をもくろんでいた。95年のプロレス興行では、海外からの観光客も多数訪れた。空港やスタジアム、ホテルなどで「力道山酒(ヨクトサンスル)」と名付けた焼酎、ポスター、絵はがきなどを販売した。

猪木氏にポカンとした北朝鮮の人々

 北朝鮮は98年9月、力道山の娘と結婚した朴明哲(パクミョンチョル)氏を体育相に起用した。この在日朝鮮人は「日本との関係を強調すれば、在日社会からの献金を期待できると計算していた」と語る。

 別の在日朝鮮人が2007年…

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