コロナ禍のガーナをノグチが支えた あの偉人が残したレガシー

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アクラ=遠藤雄司
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 まっさらな白いタイルに白い棚、自分の顔が映るほどきれいに磨かれた黒い机が並ぶ部屋には、新型コロナウイルスの検査キットや超低温にも対応できる冷凍庫などの専門的な医療機器が並んでいた。

 すべてが清潔に保たれた一室では、マスクと水色の使い捨て防護服を身につけた職員の女性が新型コロナのPCR検査結果の解析にあたっている。

 この最先端の研究施設はきっと、多くの日本人が抱く「アフリカ」のイメージとはかけ離れているだろう。そしてこの施設には、ある日本人の名前が冠されている。

 野口英世だ。

 3月中旬、アフリカ西部ガーナの首都アクラにある国立ガーナ大学健康科学部に付属する野口記念医学研究所を訪れると、ドロシー・イエボアマヌ所長が「よく来てくれましたね」とやわらかな笑顔で迎えてくれた。

 研究所は、1979年に日本政府の途上国援助(ODA)の一環として無償資金協力で設立された。ガーナで深刻な問題となっている感染症の研究機関としての役割が期待された。いまも研究所の入り口には、野口の顔が彫られたパネルが埋め込まれており、「黄熱病から人類を救うための解決策を調査していた名高い日本の医学者」などとたたえられている。

ガーナと野口の深い縁

 野口は1876年、福島県生まれ。米国で細菌学者としての地位を確立した後の1927年、蚊に吸血されることでウイルスが運ばれて感染する黄熱病の研究のため、当時は英国の植民地でゴールドコーストと呼ばれたガーナへ渡った。しかし翌28年、自身の研究対象だったその黄熱病にかかり、アクラで亡くなった。こうした野口とガーナの深い関係性から、研究所はその名を冠することになった。日本との関係はいまも深く、最近も東京大学医科学研究所国立感染症研究所などと共同で、ガーナ国内の感染症の動向の把握や、その制御と封じ込めのシステム作りなどを進めるプロジェクトが行われた。

 そして、研究所の新施設として日本の無償資金協力によって2019年にオープンしたのが、先端感染症研究センターだ。感染力や危険度の高い病原体であっても対応できる「バイオセーフティーレベル3(BSL3)」の実験室も備えたことで、より高度な研究を安全に行えるようになった。

 この研究所と最新鋭の設備を備えたセンターが、ガーナや周辺国で一躍名を上げることになるきっかけが、2020年に始まったコロナ禍だった。

 新型コロナの流行が世界に飛…

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