吹奏楽作曲家・江原大介さんが語る「課題曲V」とその未来、作曲哲学

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聞き手・阿久沢悦子
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 「課題曲Ⅴ」と聞いてどんなことを思い出しますか。

 若手作曲家の発掘と育成を目指し、2008年に始まった全日本吹奏楽連盟作曲コンクールでは、第1位受賞作品が、次年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Vになりました。そんな「課題曲Ⅴ」が今年度で終了します。

 「躍動する魂~吹奏楽のための」を作曲し、コンクールの初代優勝者となった作曲家の江原大介さん(40)に、「課題曲Ⅴ」の思い出や作曲の仕方、吹奏楽の未来などを聞きました。

 ――課題曲Ⅴの作曲の思い出を教えてください。

 まだ、大学院に入る前でした。当時25歳。課題曲Ⅴは05年からあり、国内の作曲家の難解な曲という枠でしたが、作曲コンクールが始まってその優勝者の曲になりました。

 僕が学生のころはメディアの音楽とか前衛音楽が人気で、吹奏楽の作曲家になりたいという人はそれほど多くはありませんでした。

 でも、いまの音大生の半分ぐらいは吹奏楽か合唱の作曲家になりたいというぐらい、人気のあるジャンルになりました。全日本吹奏楽連盟が発表しているように、その役割は終わったということなんだと思います。

 江原大介(えはら・だいすけ) 1982年、東京都大田区出身。2002年東京音楽大作曲指揮専攻入学。08年桐朋学園大研究科(作曲専攻)修了。11年東京芸術大大学院修士課程修了。08年の第1回全日本吹奏楽連盟作曲コンクールに出品した「躍動する魂~吹奏楽のための」で第1位となる。同曲は09年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅴとして広く演奏された。16年には「スケルツァンド」で第27回朝日作曲賞を受賞、この曲も全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅰとなった。代表曲に「インフィニティ」「蒼の躍動」「混色のマテリア」などがある。

独創的な吹奏楽に魅了され

 ――江原さんはなぜ吹奏楽の作曲家を目指したんですか。

 実を言うと、僕は吹奏楽の作曲家になろうとは全く思っていませんで、本当は映画やアニメーションの音楽をやりたかったのです。でも、どうやってその仕事をやったらいいかわからない時期が続いたんですね。それで、今持っている実力を試せる場所を探したら、全日本吹奏楽連盟作曲コンクールに行き着きました。

 ただ、学生時代から、吹奏楽というジャンルには注目していたんです。マーチのイメージしかない中で、現代の邦人作曲家のコンサートで独創的な吹奏楽曲を聴いて感動して、吹奏楽には可能性があると思ったんです。それで、いつか作曲してみたいと思いました。

 でも、その世界にコネがあるわけでもない。そんな時にちょうど、全日本吹奏楽連盟作曲コンクール第1回の要項を見ました。「当たって砕けろ」で応募して、運良く選んでいただけました。そこから僕の吹奏楽作曲家としての人生が始まりました。

 ――吹奏楽の楽器には親しみがありましたか。

 まったく。実はサッカー少年で、思春期にロックに目覚めたんです。「X JAPAN」とか「BO●(Oに/(スラッシュ))WY」とか。「こんなかっこいい音楽を自分も作りたいな」と思って、小学6年生の時に楽譜も読めないまま「作曲家になる」って決めたんです。

 決めたからにはがんばろうと思って。エレキギターから始めて、コード譜に触れた。でも五線譜が読めない。

 それで、15歳の時に親に「ピアノを習わせてくれ」と頼みました。このままじゃ作曲家になるのは無理ですからね。

 15歳からピアノ教室に通い始めて、ジャズのコードを自分で勉強し、17歳でポピュラー音楽の理論を習得しました。勉強を終えた後に物足りなくて、こんなに簡単にいくわけないと思って、突き詰めたらクラシックの世界に行き着いたんです。

 学び始めたら、高度過ぎて意味がわからない。悔しくて「だったら音大に行ってやろう」と、1浪して東京音大に入学しました。他の音大生とは、毛色が違うんですけど。どちらかというとロックミュージシャンに多い経歴ですよね。

ロックと前衛音楽ぶつけ、「化学反応がみたい」

 ――初めて作曲した吹奏楽曲「躍動する魂~吹奏楽のための」は、従来の吹奏楽曲とは違う、ジャンルでいうとダークファンタジーの映画音楽の雰囲気があります。どのようにして曲調が浮かびましたか。また、楽団にはどんな風に表現してほしいと思いましたか。

 当時、25歳。まだロックへ…

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