第21回「晴美が死んで、寂聴が生まれた」 兄弟子が見た寂聴さんの剃髪
杉谷義純さんに聞く②
瀬戸内寂聴さんは1973年11月14日、みちのく岩手の名刹(めいさつ)・中尊寺で得度した。51歳だった。式中の作法を教えたのは、20歳離れた兄弟子の杉谷義純(ぎじゅん)さん(80)だ。京都・三十三間堂本坊妙法院の門主を務める杉谷さんに得度式の様子を振り返ってもらった。
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寂聴さんとゆかりのある方々へのインタビュー連載です。随時更新しています。
――寂聴さんの得度は、どう決まったのですか。
師僧の今(こん)東光(とうこう)さんは直木賞作家で、参議院議員を務めました。古典文学に詳しく、作家仲間として相談しやすかったと思います。今さんは中尊寺の貫首(かんす、住職)でしたから、得度式は中尊寺でした。
いまでは、事前に髪をそってから得度式に臨むのが一般的で、得度式は、それほど時間がかかりません。でも、彼女の希望で、正式な儀式、作法で行いました。源氏物語にも尼さんの剃髪(ていはつ)の様子が描かれています。作家として、本来の伝統的な儀式を経験したかったと思います。
――得度式の寂聴さんの様子はいかがでしたか。
彼女は着物姿で、豊かな髪の毛をきれいにまとめていました。ただ、最初に見たときは、ずいぶんと疲れた表情をしているなあと感じました。だれだって50歳を過ぎれば、いろいろな苦労をしています。特に彼女は波瀾(はらん)万丈、やりたいことをやりたいように生きてきましたから。
得度式は礼拝から始まり、お世話になった人にお辞儀をするとか、作法が決まっています。私は彼女に寄り添って、作法のアドバイスをする教授師という役割でした。戒師(かいし)を務めていた私の父の義周(ぎしゅう)が本堂で、彼女の髪にかみそりをあて、何本か切りました。
――その後は、どのように進んだのですか。
晴美の名前を捨て、寂聴になった日。兄弟子の杉谷義純さんは、剃髪した姿を見て「少年のような色気があった」と語ります。
形を壊す、形を捨てるという…