「10・28」と聞けば、ほろ苦さがよみがえる。
29年前の記憶が行き着くのは、私の場合、イラク戦ではない。サッカー日本代表チームと一緒に乗り込んだ翌日の帰国便だ。
「朝日新聞の記者だよね……」
寝不足でもうろうとしていた私に、そういって声をかけてきたのは三浦知良だった。
それから1時間をかけてカズが私に語っていったことは、答えの出せない宿題のようにずっと引っかかってきた。
1993年10月28日は日本サッカーの歴史に深く刻まれた日だ。
カタールの首都ドーハで、日本代表はワールドカップ(W杯)米国大会の最終予選5試合を戦い、イラクとの最終戦で散った。
6チームの総当たり戦でW杯出場切符は2枚。首位に立った日本は、28日のイラク戦に勝てば、出場権を手にできるところまで来ていた。
2―1とリードしたアディショナルタイムに、ショートコーナーから失点。引き分けに終わり、2位韓国と勝ち点で並びながら得失点差で及ばず、3位に転落した。
「ドーハの悲劇」と呼ばれる瞬間だった。
翌29日の帰国便は、日本サッカー協会が用意したチャーター便だった。前方の席に選手やスタッフが乗り、そこからかなり間を空けた後方に報道陣が陣取った。
がらんとしたジャンボ機で、私はシートのひじ掛けをはね上げて寝転がっていた。
イラク戦当日の夜は最終予選の表彰式もあり、ほぼ徹夜で原稿を書いた。帰国便に乗り込んだときには、心も体もへとへとの状態だった。
成田の国際空港まであと1時間半ほどになっていたと思う。わざわざ後方の席まで来て、声をかけてきたカズに驚いた。
寝不足と疲労で頭が働いていなかったこともある。日本のサッカーの現状や未来について語るカズの話に耳を傾けながら、真意をはかりかねていた。
自分の席に戻る直前になってカズはこういった。
「オフト(監督)は辞めるべきだよね」
思いがけない言葉に、私は言…
- 【視点】
29年前の「10・28」。甲府支局のテレビで、私はこのシーンを見ていました。 「泣くな、中ちゃん!」 背後からデスクの声が飛んできたのを覚えています。別に泣いていたわけではありませんが、呆然とはしていました。 私はいずれスポー