3千人の孤児育てた母、日韓でしのぶ 最期の言葉「梅干し食べたい」

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木浦=稲田清英
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 韓国南西部の木浦(モッポ)市内の海にほど近い一角に、児童福祉施設「木浦共生園」がある。約45人の孤児らが暮らす。

 午後、リュックを背負って園に戻ってきた子どもたちが、入り口からすぐの坂を上り始めた。その姿を優しく見守るように、澄んだ秋の青空が広がっていた。

 戦前から続くこの園で、約3千人の孤児を育て、送り出した高知県出身の女性がいる。

 田内千鶴子さん(1912~68)。28日には生誕110年の記念行事が開かれた。「韓国孤児のオモニ(母)」をしのび、日本と韓国から多くの人が集った。

 その生涯は、国境を超えて多くの人の心に刻まれている。

 高知市若松町生まれの千鶴子さんが木浦に渡ったのは1919年。7歳になる年だった。朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった時代だ。朝鮮総督府の役人だった父親と一緒に暮らすためだった。木浦で学校に通い、オルガンを学び、音楽教師になった。

戦禍の中に消えた夫、意志を継ぎ

 園の始まりは28年。キリスト教伝道師の尹致浩(ユンチホ)さんが、橋の下で寒さに震えていた孤児7人と生活をともにするようになった。

 尹さんの活動を知り、心を打…

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