研究者になる覚悟なかったが 姜尚中さん「ウェーバー先生でさえ…」

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悩みのるつぼ 相談者(50代銀行員男性)

 大学2年のときに尊敬する教授と出会いました。当時はベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結など、現在に通じる問題がマスコミをにぎわせ、大学の授業が終わると、研究室や先生の自宅で時間の経つのを忘れるぐらいいろんな話をしました。教授との時間は自分にとって至福の時間で、学問の奥深さを実感し、自分も研究者にとの思いが強くなりました。しかし、学問の世界は甘いものではないとの思いがあり一生の仕事にしていく覚悟はありませんでした。数年前、教授が亡くなられたとのしらせを受けました。

 何度か大学の社会人向けセミナーなどに参加したことがありますが、コロナ以降は自身の性格もあるかもしれませんが人に会うことに敏感になりセミナー参加などもちゅうちょしてしまいます。

 自身の考えていることや思いをアウトプットしたいのですが、出来ない自分に嫌悪感を時々感じます。定年後は経済学をもう一度学び直したいとの思いがあります。ネットではなく手触りのある読書を通じて知らないことを知る喜ぶは失いたくないのですが、全てがひとりよがりな感じがしています。姜尚中先生の書籍もたくさん読んでいます。姜尚中先生はこんなどっちつかずな自分をどう考えられますか? 先生のご意見なり感想をお伺いしたいです。よろしくお願いいたします。

回答者 政治学者・姜尚中さん

 あなたの「どっちつかずな自分」という表現で、私の20代の終わりの頃を思い出してしまいました。この欄の回答者の役を引き受け、名誉教授の肩書もありますが、私もあなたと同じ「どっちつかず」で彷徨(ほうこう)していました。どうして私が研究者として曲がりなりにもやって来られたのか、自分でもよく分かりません。ただ、ひとつだけ確実なのは、私の場合、僥倖(ぎょうこう)に恵まれたということです。研究者になれるのかどうか、「職業としての学問」に仕えてそれを生業と出来るのかどうか、それが僥倖次第だと指摘したのは、かのマックス・ウェーバー大先生です。

 20世紀を代表する大学者に…

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