「解放の広場」としての梨泰院「この街でしか生きられない人がいる」
多くの若者が亡くなった雑踏事故の現場となったソウル・梨泰院(イテウォン)。韓国ドラマ「梨泰院クラス」で、世界的に広く知られるようになった街は、韓国国内では外国籍の人や性的少数者を受け入れる「セーフティーネット」のような地として知られていた。街の人々は事故をどう受け止めているのか。梨泰院を舞台に多くの小説を出版する作家、パク・センガンさん(45)に聞いた。
梨泰院の雑踏事故
ハロウィーンを直前にした10月29日(土)の午後10時過ぎ、様々なコスチュームを身につけた人らが狭い路地に集中。150人以上が亡くなり、その8割以上が「MZ世代」と呼ばれる20~30代の若者だった。
――梨泰院で友人とAirbnb(エアビーアンドビー)の民泊を経営した経験をもとにした小説『エアビーアンドビーの掃除人』(邦訳未出版)など、梨泰院を舞台に多くの作品を書かれています。
大学時代から、梨泰院の雰囲気が好きでした。韓国が儒教的な社会で開放的ではなかった1990年代にも、梨泰院だけは違った。外国に来たみたいで、いろんな人がいるのを観察するのが面白かったんです。
5年ほど前、友人とエアビーアンドビーの民泊経営を始め、空き部屋に自分も暮らし始めました。コロナで経営が苦しくなり、廃業しましたが、宿泊施設は雑踏事故が起きた通りから坂を上がったところにあった。
その建物には飲み屋も入っていて、東南アジアや米国のヒッピーみたいな人たちも住んでいた。そんな場所をモデルにして書いたのが『エアビーアンドビーの掃除人』でした。
――梨泰院はどんな街ですか。
もともとはすぐ隣にあった米軍基地の兵士たちを顧客とするバーなどの多い歓楽街として発展しました。偽物のブランド品を売る街としても知られていましたが、90年代に一度、(湾岸戦争の勃発などで)街が閑散とした後、性的少数者のクラブがたくさん増えた。
そうした変化の中で、多様な…