在日被爆者が語った差別と加害「若い君たちに責任はない。でも…」

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編集委員・後藤洋平
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 7月に93歳で亡くなった在日韓国人被爆者、李鍾根(イジョングン)さんの生涯を本人が語る映像作品「ヒロシマ、声/李鍾根」を、広島市のNPO法人「ANT―Hiroshima」が制作した。10年前、国際NGOピースボートに招かれて被爆証言を始め、世界各地の人々と交流を重ねた李さんの貴重な記録だ。英語字幕版も準備しており、様々な都市での上映を目指す。

 6日、広島市の平和記念資料館で100人余りが集った李さんをしのぶ会で、約60分の作品がお披露目された。

 海外での証言活動の映像や昔の写真を織り交ぜ、戦時中に両親が朝鮮半島から日本に渡って島根県で生まれたこと、戦後は職を転々としたことなど、被爆証言にとどまらない李さんの人生が本人の口から語られる。

 16歳だった1945年8月6日、爆心地から約2キロの位置で被爆。長年通名の「江川政市」として生活してきたが、「無料で世界旅行に行けるなら」と申し込んだピースボートの旅を機に、本名を公にした。

 厚生労働省の発表では、昨年3月末時点の被爆者は全国で12万7755人、平均83・94歳。その10年前は約22万人だった。存命の被爆者が急激に減るなか、最晩年まで精力的に証言活動を続けてきた。

「おい、朝鮮人」と理由もなく……

 訪ねた国々や広島で伝えてきたのは、背後から熱線と爆風を浴びて生死をさまよった被爆体験だけではなかった。

真っ赤なジャケット、柄のシャツ。李鍾根さんは90歳を超えてもお洒落で、いつも笑顔。穏やかな人でした。一方、被爆証言者として若者の前に立つ時、日本人から受けた差別や日本の戦争責任についても語りました。その思いとは…

 幼い頃、近所の駄菓子屋の店…

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