第29回寂聴さんは「女一休」 細川護熙さんとの出会いは祇園の小料理屋

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岡田匠
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細川護熙さんに聞く①

 2021年11月9日に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんは、多くの人たちと交流した。陶芸や書画をたしなむ元首相の細川護熙(もりひろ)さん(84)も、その一人。京都に行くたびに嵯峨野の寂庵(じゃくあん)に寄り、本葬では弔辞を読んで寂聴さんを「女一休」と表現した。寂聴さんとの思い出を聞いた。

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寂聴さんとゆかりのある方々へのインタビュー連載です。随時更新しています。

 ――寂聴さんが亡くなって1年になります。

 京都に行っても寂しくなりました。仕事の関係で何度も京都に行くのですが、そのたびに必ずご連絡していましたから。寂庵にお邪魔して色々なお話をしたり、食事をご一緒したりするのは楽しみでした。

 妻の佳代子が認知症なものですから、そのことをとても気にかけて下さっていて、いつも第一声は「佳代子さん、いかがですか」でした。

 ――出会いは、いつのことになりますか?

 熊本県知事をしていたころですから、40年ぐらい前になります。すでに寂聴さんは出家しておられました。祇園の小料理屋さんで、カウンターに寂聴さんが知人の方、2、3人といらっしゃいました。お互い連れがあるので、そのときは、あいさつ程度で、ほとんど言葉を交わしていません。

 そのあと、だいぶたってからお目にかかり、懇意になったのですが、祇園の小料理屋さんのことをよく覚えておられて、「細川さんはビールではなく、日本酒をお飲みでしたよね」と。細かなところまで観察されていて、モノを書く人は、ずいぶん細かいところまで見ておられるんだなあ、と。

 ――寂聴さんの小説も愛読されていたのですか。

細川さんはひところ、京都の寂庵の近くに家を持っていました。記事の後半では、寂聴さんとのご近所付き合いについて語ります。

 初めてお目にかかる前に、た…

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