「ドーハの悲劇」の実況アナ、30秒の沈黙 涙も悲しみもなかった

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江戸川夏樹
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 英国のロンドン・ヒースロー空港から日本に電話を入れた。

 「どうだった?」

 1993年、サッカーワールドカップ(W杯)米国大会に向けたアジア最終予選がカタールのドーハで開かれていた。アナウンサーだった久保田光彦さん(66)らテレビ東京のクルーは、その地へ向かう途中だった。

 知りたかったのは3戦目の日本―北朝鮮戦の結果だ。それまでの2試合は、1引き分け1敗。負ければ、悲願のW杯出場は遠のき、残り2試合が消化試合となる可能性が高まっていた。

 日本からの電話は歓喜に満ちていた。

 「3―0で勝ったぞ」

 後に、「ドーハの悲劇」と呼ばれるサッカー史に残る試合の実況を担当した久保田さんの最終予選の始まりだった。

 もともと、サッカー少年でW杯が大好きだった。「サッカーに携わりたい」と、当時サッカー中継に強かった東京十二チャンネル(現在のテレビ東京)に入社。様々なスポーツの実況で経験を積み、1993年10月28日、最終予選の最終試合5戦目、日本―イラク戦に臨むことになる。

 直前の試合で、日本は「絶対に勝てない」と言われていた強敵、韓国を破っていた。日本国中が沸きに沸いた。イラクに勝てば、W杯への切符を初めて手にする。

 「普段と変わらずにやろう」…

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    服部倫卓
    (北海道大学教授=ロシア・東欧)
    2022年11月19日19時28分 投稿
    【視点】

    この記事で気になったので、久し振りに、「ドーハの悲劇」の最後5分くらいの動画を観てみた。 記事を補足しておくと、久保田光彦さんは当時圧倒的に優秀なサッカー実況アナウンサーだった。ゴールが入った時にやや上ずった口調で発する「決まった!」とい