サッカー日本代表のFW前田大然(だいぜん)(25)は献身的なプレーでスペイン戦の2ゴールに絡み、1次リーグ突破に貢献した。
「野生児」だった幼少期
「僕のベースはアグレッシブなところ。それがなくなったら何も残らない。みんなのために走り、ハードワークして、チームを勝たせられればいい」
高校時代には自らの過ちで1年間、部活謹慎の処分を受けたことがある。その反省から、大きく成長した前田を、父伸幸さん(58)と母幸枝さん(54)はどのように見てきたのか。今だからこそ語れる思いとは――。
――幼少期の前田選手はどんな子だったのでしょうか?
母幸枝さん うちは5人の子どもがいるんですけど、全員が自然にちなんだ名前をつけています。大然は「大自然」が由来です。
小さいときからすごく仲間思いで、友達もいっぱい寄って来ましたね。あの子が盛り上げるから、周りがすごくやる気になる。スポーツをやっても、大然がおるだけで、いつもそのチームが強くて。ドッジボールとかでも大然のいるチームが優勝すると言っていました。
父伸幸さん よく裸でその辺を走り回っていましたね。動き回るのが大好きな「野生児」でした。
――身体能力は高かったですか?
父 私が昔やっていたこともあり、小学1年から体操をさせていました。ちょうどアテネ・オリンピック(五輪)の団体で日本が金メダルを取ったころ。大然はバネがあったんですよ。素質があったので、いいところまでいくんじゃないかと思っていました。
母 跳び箱もよく跳んでましたね。あとは私も父ちゃんも足が速かった。大然も私たち2人に似て速かったですね。
――サッカーを始めたのは?
父 小4で同じクラスの子から誘われたんです。そこで、体操はやめました。「ちょっと残念やな」とは言ったけど、まあ本人がやりたいっていうなら仕方ない。私はサッカーについては、オフサイドのルールもわからないくらいルールを全く知りませんでした。
「サッカーができなくなるんや」
――中学2年の時に高校サッカー選手権で優勝した山梨学院を見て、「行きたい」と言ったそうですね。
母 最初はまさかほんまにそう思ってへんやろうなという感じだったんですけど、中3になっても言い続けるから、ほんまに行くんやと思ってびっくりしました。
父 山梨学院が強いのかどうかも私は知らなかった。好きなとこに行きなって感じでしたね(笑)。
――1年の冬に、部内で規律を乱す行為を起こして処分を受けることになりました。どのような形で一報を聞いたのでしょうか?
父 正月明けの日曜日の夕方…