G20開催に情熱そそぐインドネシア 67年前に生まれた「DNA」

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バンドン=半田尚子
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 なぜ、そんなに頑張るのか。

 主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が15日から、インドネシアのバリ島ではじまる。ロシアのウクライナ侵攻で世界の分断が深まる中、G20議長国のインドネシアは各国の首脳たちに会議のテーブルについてもらおうと、奔走してきた。

 その情熱のルーツを知りたいと思い、ある博物館を訪ねた。

 インドネシアの中部バンドン。首都ジャカルタから約3時間在来線に揺られ、白く塗られた欧州の風情が漂う建物に到着した。

 「アジア・アフリカ会議博物館」だ。

バンドン会議が世界に伝えたこと

 この博物館は1955年4月にインドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、インドのネルー首相、エジプトのナセル首相らアジアやアフリカなどの指導者が集まり、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を開いた場所だ。当時の会議場が今もそのまま残る。

 館内は12月ごろまで改修中だそうだが、特別に展示を見学させてもらった。当時の時代背景を振り返るパネル展示の一文が目に入った。

 「西側と東側の二つの強力なブロックの成立は、世界の危機を激しく助長している」

 今まさに歴史が繰り返されている。

 パネルの文章を読みながら、そんな気持ちになった。

 会議が開かれたのは冷戦下で世界が米国とソ連の両陣営に分かれ、対立が深まっていた時代だ。参加した国々の中心は欧米列強に植民地支配され、搾取された共通点を持つ、アジアやアフリカの国々だった。

 開催国のインドネシアはオランダに植民地支配され、日本の占領を経て独立した。中国は日本など列強の進出を受けた。インドやエジプトは英国の支配から抜け出した。

 出迎えてくれた館長のダリア・クスマ・デウィさん(44)は、バンドン会議に参加した国々を「大国に翻弄(ほんろう)された痛みを抱える国々」と表現する。

 大国間の競争でしわ寄せに苦しむのは経済的に立場の弱い国々だ。会議には冷戦下で大国の支配に反発する国々が、「自らの国の運命を自分で決め、自らの足で立つ機会を得るために集まった」。

 バンドン会議では領土や主権の尊重などの項目を盛り込んだ「平和十原則」を採択して閉幕。束になって東西どちらにも味方しない「中立」の立場を取る国々があることを世界に伝えた。

 ダリアさんは「バンドン会議こそ、インドネシアの外交方針に組み込まれたDNAだ」と力を込める。

 この博物館はいまインドネシ…

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