40年前の電車内だった。
壁に広告が貼られていた。笑顔の黒人の子どもたちと、その隣にいる日本人の看護師。
「青年海外協力隊」という文字が大きく書かれていた。
説明を読むと、海外に派遣されて滞在費用を支給されるという。
子どもの頃から海外に漠然とした憧れがあった。大学生だった下田功さん(60)は「これだ」と思った。
教師志望だった下田さんはその日、実習で千葉県の高校を訪れていた。だが、頭ごなしに生徒を叱る先輩教師を見て、進路が揺らいでいたところだった。広告を見た数日後には、協力隊の説明会に参加していた。
下田さんとコスタリカの縁はこうして始まった。
静岡県出身。物心ついた時からサッカーをしていた。強豪の藤枝東高に進学し、中盤の選手として活躍した。順天堂大でもサッカーに明け暮れた。
協力隊に入ると、その経験を買われ、1985年にコスタリカにトレーニング科学普及員として派遣された。スペイン語は片言で、質問されてもうまく返せなかったが、大学で講義をもった。指導のわかりやすさが評判になり、地元サッカークラブのユースチームや、20歳以下(U20)代表チームのトレーニングコーチになった。
当時、コスタリカのサッカー選手は筋トレをほとんどしなかった。下田さんはそこに注力した。
現地メディアは批判した。「ボディービルダーが理想の体形なのか」「なぜ日本人がコーチなんだ?」「教えるのはトヨタでも日産でもない(自動車製造ではない)。サッカーだぞ」。選手たちにも「日本人コーチ」への不信感は広がっていた。
それでも下田さんには自信があった。
大学時代、自身も筋トレによ…