アンネは「広場の少女」だった 「本当の家」を訪れてわかったこと

アムステルダム=玉川透
[PR]

 『アンネの日記』を書いたユダヤ人の少女、アンネ・フランクが「隠れ家」に潜む前の8年余り、家族と暮らしたアパートが今もオランダ・アムステルダムにある。ふだん公開されていない、アンネの「原点」とも呼べる場所を、特別に許可を得て見せてもらった。

 アムステルダム南東部のメルウェーデ広場沿いに、4階建ての集合住宅が並ぶ。広場の真ん中にはアンネの銅像が立つ。その視線の先にある37番地がアンネが暮らしたアパートだ。

 部屋は全部で五つほどあり、大きめの窓からやわらかな陽光が差し込む。アンネと姉のマルゴーが使っていた部屋はコンパクトな作りで、壁に内蔵する折りたたみ式のベッドがあった。

 明るいテラスもあり、姉妹がそこでひなたぼっこする写真が飾ってある。

 ドイツ系ユダヤ人のアンネ一家は、ナチスが政権をとった1933年にアムステルダムに移住。ナチスがオランダを占領した後の42年、運河沿いの隠れ家に逃れたが、2年後に密告され、アンネは強制収容所で命を落とした。

 広場周辺には当時、アンネ一家と同じような境遇のユダヤ人が大勢暮らしていた。地元の歴史研究者リアン・フェルフーフェンさんは、当時の住民ら40人以上から聞き取り調査した。

 住民の証言から浮かび上がるアンネは、ひとり黙々と日記に向かう「隠れ家の少女」ではなく、友達と広場を駆け回る「広場の少女」だった。アンネに詳しい水島治郎・千葉大教授は「8年余りにわたって広場で家族や隣人、友人たちと紡いできた濃密な時間があったからこそ、アンネは潜伏生活であれほどの豊かな言葉を紡ぎ出せたのではないか」と話す。(アムステルダム=玉川透)

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

【期間中何度でも15%OFF】朝日新聞モールクーポンプレゼント